与える人と奪う人 | 複雑系レトリック~自営業白書~

与える人と奪う人

日本刀

こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?




本日は人との関わりについて私なりの思想をお目にかけたいと思います。



人をカテゴリー分けする際は、いろんな切り口でどうにでも複数のグループにまとめることが出来るものだと思います。


背が高い、低い。腕が太い、細い。肌の色が黒い、白い。




外見だけであればそうした分類は可能ですが、内面を考慮すると人の性質は多様ですのでなかなか区切ることが出来なくなるものです。




例えば悪い人、良い人っていうありきたりな分類。


良い悪いという価値観は誰かと比べて初めて成り立つものですから相対的なものです。


身長が高いか低いかというのも同様に相対的な価値基準ですが(誰かと比べて初めて言えることなので)、平均身長などの客観的な指標を使えば誰から見ても納得!の分け方をすることができます。


しかし善し悪しという分類は「誰にとってか」ということが最大の問題になりますので非常に主観的な基準に左右されてしまうでしょう。


善し悪しは「相対的だし主観的」な価値観だと言えます。




優しいか厳しいか、頑張り屋さんか怠け者か。


このように人間の内面を取り扱ったとたんに「相対的で主観的」なものになり、自信を持って「こうだ」と言い切れない曖昧さが現れてしまいます。



そして私たちがそうした曖昧な価値基準の上に立って生きているのも事実だと思います。


「だからこそ難しい」という面が大いにあるのは間違いありません。




私は「相対的で主観的」な現実を仕方が無いことだと思っています。


だったら「絶対的で客観的」なものを追い求めたりしないで、もうそんなもん手放しちまえばいい・・というのが私の考え方。




その代わりに私は「関係」の中で一定の価値基準を持っていたいと思うんです。







世の中には


・Giver(ギバー)


・Taker(テイカー)


の二種類の人が存在していると私は思います。



GiverはGiveする人。つまり与える人です。


満足感や知識を誰かに与えたり、笑いを与えることだってGiverの行為だし、与えるものがプレゼントやお金だっていいと思います。


とにかくなにかを与える人をGiverと定義します。




TakerはTakeする人。つまり取る人です。


Giverが与えた笑いや満足感を受け取ったり、もっと極端な場合は「奪う人」になることもあるでしょう。


ここでは後者の「奪う人」という意味において話を進めたいと思います。




さて私は、世の中にはGiver(与える人)とTaker(奪う人)のみが存在しており、この基準に則って世の中の人を二つに分けられると考えています。



この価値基準は「相対的で主観的」ですが、「相手がいるから成り立つ」という面もあります。


「関係の上ではじめて成り立つ」ものであって、たった一人で奪ったり与えたりすることはできません。






例えば生まれたばかりの赤ん坊は、客観的に見ると完全なTaker(奪う人)です。


まぁ当然よね・・・自分のことすら出来ない存在なわけですから。なんでもかんでもやってもわないといけないし、育てている人は本当に沢山与える必要があります。




しかし、関係の中においては一言で赤ちゃん=Takerとは言い切れない場合があるのです。


私は子育ての経験がありませんが「子どもから教えられることのほうが多い」という意見はよく耳にしますし、私の母も「親は子どもが育てるものだ」と言っています。


赤ちゃんは第三者の客観から見るとTakerですが、親子という「関係」の中にあってはGiverであると言うことが出来るんです。




ブログでなにかを書いている人の多くはGiverだと思います。


それが論文であっても複雑系日記でもダイエット日誌でも、誰かが読んで何かを感じてくれれば・・と思って書いているわけですから、読者との関係においてブロガーはGiver(与える人)です。



ちなみにブログをされていない方でもブログとの関係でGiverたりえるのは言うまでもありません。


誰だって読んで貰いたいと思って書いているわけで、それを満たしてくれる人はブロガーにとってはGiver。つまり読んでくれる人はブロガーに与えています


つい先日もブログを書いていらっしゃらないけどブログで知り合った友達から衝撃的な品物が届きました。これはまた記事にしますが、その方は明確にGiverです。






ブログにおけるTaker(奪う人)の例をいくつか申し上げると、例えば最近やたらめったら飛んで来るエロTBなどがそうです。


そんな腐れた方法じゃないと商売できねぇならやめちまえ!と思いますし、彼らは私に何一つ与えることが出来ていません。


私のブログにたまたま訪れた人からいくばくかのアクセスを稼ぐ目的でやっているわけで、そういう意味で彼らは完全なTaker(奪う人)です。



また、たいして読んでもないくせに


「すばらしいブログですね。お互い更新がんばりましょう。是非僕のところにも来てくださいねー」


とかいうコピペ読者登録もTakerです。どこがすばらしか言ってみろ。

私はこういうのは非公開にしています(笑






誤解のないように申し上げますが「受け取る」ことが悪いと言っているのではありません。


与える人と受け取る人は瞬間的にはパチパチと入れ替わっている状態で、水が水蒸気になったり氷になったりするのと同じように、人間にとっては一種の状態変化だと考えています。


たとえば誰かと二時間くらい話をするだけで10回くらいは与えたり与えられたり・・切り替わりながら時間は過ぎてゆきます。



そうではなくて、私が論点にしたいのは奪うことクレクレ行為


Takerは奪うばかりで与えることが出来ません。







私は誰かとの関係において、自分がどのような貢献ができるのかを常に意識したいと思っています。


誰との関係においてもなーーんにも与えることが出来ない人が生きていけると思えない。私だったら自分のことが嫌いになってしまいます。



家庭で料理を作ったり、職場でお金を稼いだり、笑える話をしてみたり、誰かの相談に乗ったり、誰かの労をねぎらったり誕生日をお祝いしたり・・・。




そうしたことを一切行わないで、生きていくことが出来るのか?


私だったら自分なんていてもいなくてもいい存在だと思うだろうな。





こうしたことを意識しているからこそ私たちは誰かの役に立ちたいと思うわけですし、なにかを受け取ったときは有り難いと思えるし、純粋にお返しをしたいと思うことが出来るのでしょう。









私は自分がGiverでありたいと思っています。


常に与える人なんて存在しないと思いますが、かといって逆に自分が受け取ってばかりだとストレスになる(`Θ´)




自分が存在する意義を見出すために私はGiverでありたい。


つまりは結局自分のため・・というところに落ち着きます。




また、私にとっての良好な関係というのは、お互いがGiverであるような状態です。


私も与えて、そして相手も私に与えてくれる。



人は寄る辺のない自分の存在意義を見出すために、与えて与えられて、より掛かり合って生きていくものかもしれません。



だってほら人という字は・・(略




私が誰かになにかを与えた場合、実は私も「生きる価値」与えてもらっていると思うんです。


こうしたGive-Giveの関係は私にとって非常に重要ですし、大切にしたいと心から思います。





「客観的で絶対的」なものを手放すと、必然的に誰かとの関係の中でしか価値を見いだせなくなるものでしょう。


しかし私はそれこそが、無駄にでかい脳みそを持った私たちにとって、唯一の生きる道だと思います。(`Θ´)



私は自分がGiverでありたいと思います。