「当たり前」の妥当性 | 複雑系レトリック~自営業白書~

「当たり前」の妥当性

おいおい

こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?




昨日は彼女と二人で、いつも仲良くして下さっている海さん をお見送りするために成田に行ってきました。


5時間以上にわたってほぼノンストップでしゃべり続ける我々・・



恐らく私は男性の中ではトップランカーのおしゃべりだと思います。



それこそ10年来の友人達とも平気で6時間とかしゃべることが出来る・・・20代前半までは24時間ぶっ続けでしゃべり続けたことが何度もあるんです。男3人とかで(笑



「もしかして俺たち24時間しゃべりよった?」


「あ・・そろそろ帰るか」




自分の好きな人と会うときは、時間がどれだけあっても充分ということはありません。


そして話のネタが尽きるということもまぁ、経験がない(笑




昨日はアメリカっていったいどんな国なんだ?っていうことをかなり具体例を交えて教えてもらって、彼女と二人で理想国家の一旦をかいま見たような体験をしました。


あ、もちろん課題もあるようですが。




公務員でもクビが存在することを知って驚く私たち・・(笑


この時点でかなり日本的な思想・・・「当たり前」ということに毒されているのがよく分かります。



最初にこの話を聞いたとき、意味が分かりませんでしたから。



(`Θ´)(‘Θ‘) 「クビって、誰が?」


みたいな。



私は常々「一度なってしまったらもう安泰」なんていう商売はクサレてしまう運命にあると考えています。


公務員に現時点でクビがないのもそうですが、免許の更新がない医者とか、ある種の下請け会社などもこれに含まれます。



で、これはズバリ!システムのせいなんですね。


ちゃんと評価される場があれば誰だってもっと懸命に貢献しようとしますし、逆に評価されるシステムがなければ誰も頑張ろうとしません。合い見積もりや入札など、市場原理に晒されない下請け会社がいい加減な仕事をするのは当然のことだと思います。




だから、その中にいる人達を一方的に責めることは出来ません。


こんな思想を持っている私であっても、同じ立場に立てば場に流されて・・つまり適応してしまう可能性は極めて高いのです。



逆にそうした環境で全力を尽くして仕事をしている方々の勇気はすばらしいと思います。


頑張る人にとっても、頑張らない人にとっても、そうした「安泰」という環境は悪い方向に作用することのほうが圧倒的に多いと考えています。





システムに難があると常々考えている私・・・


そんな私でさえ公務員とクビとが脳の中で繋がるまでに時間を要しました。シナプスが途絶えています




私たちは本当に「当たり前」にとても縛られて生きているのだと思います。


それは十把一絡げに悪いことと言うことも出来なければ、完全に善いこととするのもまた無理があるでしょう。






例えば世界ふしぎ発見のパネラーとして名高い野々村真は、常に本気なのか冗談なのかにわかに判断しかねる珍回答でお茶の間を湧かせ、視聴者の優越感をほどよく刺激する憎めない人物です。


彼はすべてのヒトシ君人形を没収されるのが当たり前。

デフォルトでボッシュート。



しかし私は彼がパーフェクトを達成し、優勝する姿を一度だけテレビで見たことがあります。


あのときは番組始まって以来だと言っていましたが、その後ももうないだろうと思ってしまいます。




しかし野々村真が常にオケラ状態であるという「当たり前」は、時として通用しないことがあるのです。


野々村真は良い物を見せてくれました。


私はテレビの前で拍手喝采し、彼の姿を見て不覚にもウルっときちゃった。





私たちが当たり前だと認識していることが、いかに不安定で不確かなものであるか・・・なんだか話の内容に飛躍があるように思われるかもしれませんが、それは気のせいです。




文化の違うところで生活されている方の話はなおのこと、誰とお会いしても少なからず多少は「当たり前」の違いが存在します。


私は自分の当たり前を覆されることに対して喜悦を感じるタイプの人間なのかもしれません。





昨日は海さんと沢山お話をさせて頂き、日本がいかに伝統的な封建社会のに成り立っているかということを痛感しました。


フツーだろ!?って思っていたことも、そうやって言われてみたら確かにちょっと変だな・・みたいな感じ。


良い部分もあるけど、勇敢になりきれずに変化を恐れて後回しにしていることも沢山あるんだなぁ・・・



ドナルドがバーガーキングに行ったっていいじゃないか!


本当にそんなことがあったら、私はドナルドの変化を恐れない勇気を賞賛したい!



そんなことを考える昼下がりでした(`Θ´)