コミュニケーションとイマジネーション | 複雑系レトリック~自営業白書~

コミュニケーションとイマジネーション

昨日は彼女が食事を作ってくれました。忙しくて大変なのに・・うう、サンキュ

子持ちカレイの煮付けはかなりうまかった。わんだほーです。
彼女は和食、私は洋食と中華。このゴールデンルールを踏襲し続ける所存!




昨日の千葉県知事選挙、投票率は43.28%でした。
うおー多くはないけど前より良い。嬉しいです。
そんで現職の堂本さんが当選。2番手の森田さんとの差が1%未満という超接戦でした。



今日は少しコミュニケーションについて考えてみました。

コミュニケーションっていう言葉、とっても便利だと思いませんか?これって日本語で適当な言葉が思い浮かびません。うーん、意思疎通?会話?ふれあい?つながり?

そういったもの全て含有した便利な言葉。優れた英単語です。


究極のコミュニケーション。それはテレパシーです。
テレパシーとは、頭の中で考えたことが相手に直接伝わることをいいます。

テレパシーを深く考えてみると、通じ合う両者はすでに別々の生き物とは言えないということに気づかされます。
例えば私がピーマン大嫌いだとして、テレパシーがあれば、どのくらい嫌いか、どんな理由で嫌いになったのかを全て正確に理解することができます。ピーマンに対する感情もコピーしたように伝わります
意識の面で両者に差がなくなり、すでにどちらが本人なのか判然としません。


しかし、実際にはテレパシーコミュニケーションすることはできませんよね。出来る人がいるかもしれませんがとりあえず私は出来ません。ごめん。



テレパシーの能力がないからこそ私たちは言葉、文字、歌、踊り、絵画などの文化を発達させ、自分の考えていることを正確に相手に伝える努力をし続けてきました。

しかし、コミュニケーションにおいて自分の言いたいことが伝わらなくてイライラすることはよくあることです。これは、言葉の持つ機能の限界だと思います。



私は言葉には重さがあると思います。

たとえば自由という言葉をとってみたときに、きっとわたしの自由とあなたの自由は意味が違うと思いませんか?


例えば20人の人に部屋に集まってもらいます。そして全員が集合した時点で

「ではみなさん、自由にしてください」

と言ったらどうなるでしょうか。
ある人は次の指示が来るまで同じ場所で待っているかもしれません。ある人は携帯でメールを打つかもしれませんし、モブログで記事を書くかもしれません。ある人は外の喫煙所でタバコを吸うかもしれませんし、もしかすると家に帰ってしまう人もいるかもしれませんね。

つまり、人によって自由の重さが異なります。



私たちのコミュニケーションが時にうまくいかないのは、言葉の重さに個人差があることが原因だと考えています。

そしてその言葉の重さをうめるために私たちはさらに多くの言葉を使います。

「ではみなさん、自由にしてください。ただ、部屋からは出ないでくださいね。」

正確に意味を伝えるためには多くを語る必要があります。



しかし、どんなに多くの言葉を使って語ってみても、言葉の重さの差がゼロになることはないと思います。

私が相手の言葉を聞くときに、よく言う口癖のようなものが「なんで?」とか「どうして?」という言葉です。その人がどんな経緯でそう思うようになったのかを知ろうとします。
それらの疑問が全て理解できたときに、私は相手の言いたいことを理解出来ます。

つまり相手の立場に立つということが、言葉の重さをゼロに近づけるためにはとても重要だと考えているのです。



相手の立場に立つためにはイマジネーションが不可欠です。

置かれた状況や心理状態をイメージして、はじめて言葉が理解できると思います。
イマジネーションがなければコミュニケーションが成立しません。

そしてイマジネーションは、伝える側、伝えられる側の両者に必要で、どちらか片方が繕うものではありません。


短いのにすばらしく太い言葉というのがありますよね。
たったの一言ですべてを表現している言葉。

そういう言葉はイマジネーションを刺激する言葉であろうと思います。


「グラシアーノ 人生は舞台だ」

「キミの瞳に乾杯」

「将棋は戦争だが、囲碁は経済だ」

「士は己を知るもののために死す」



短いけれども、言葉の背景がいっきにイメージできて、意図が脳に流れ込んできます。

こういった短い言葉を生み出す人というのは、きっとイメージの達人だと思います。相手が言葉を聞いて、その人の脳でどんなことが起こるのかあらかじめ予想しているのです。
つまり、相手がどう捉えるか、どう言えば伝わるかをイメージしているのです。


イマジネーションのないコミュニケーションはありえません。

私たちはお互いを理解するために想像力を最大限に駆使しているのだなと思った昼下がりでした。