「夢とシアワセ」考 その1
こんにちは。右も左も分からない複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
アボカドにょきにょき!!!
来たよ来たよーーー伸びて来たよーーーー!!
みなさんは夢をお持ちですか?
一口に夢といっても人によってとらえ方が違うと思います。私の辞書によれば、私には今特に夢と言えるものがありません。
目標と予定ならあります。しかし夢はありません。
この違いについてはまた別の機会に詳しくしつこく説明させてください。
とにかく、誰にでも夢や目標といった未来を設定するものがあると思います。
1年後にはこうなっていたい!10年後、こんな人間になりたい!来月の試験に合格したい!子どもにこんな人になってもらいたい!貯金を●●万円にしたい!
遠い未来、近い未来、大きなモノ、小さなモノといろいろありますが「こうなりたい・こうしたい」という思いは皆さん何らかの形でお持ちのことと思います。
しかし、ふとした瞬間に夢や目標がいったいどこからやって来たのか考えることがあるはずです。
どうしてそれを叶えたいと思っているのだろう。なんで私はそれを手に入れたいんだろう。そもそも、なんで俺の夢は「これ」なんだろう。
あなたがもし何かの夢をお持ちだったら、私は問いたい。
どうしてそうなりたいの?
私は10代のころからずっとプロのミュージシャンになりたいと思っていました。
当時「あなたの夢は?」と聞かれたら「プロのミュージシャンになること」と堂々と答えていましたし、むしろ自分から進んで人に公言してはばかりませんでした。
22歳のときに目出度くプロになることができました。もちろんメジャーじゃないですよ。
小さな制作会社に入って、CMの音楽作ったりしながら産みの苦しみを味わう日々です。
しかし、私はこの仕事を自分から辞めてしまいました。辞めたというより、逃げました。
パワハラみたいなものもあったし、そもそも音楽を作り出す苦しみもあったし、理由はなんぼでも思いつきますが、とにかく、最終的には逃げたわけです。
夢を叶えた私は、自分が望んだ環境で折れてしまいました。
今ミソジ前になって振り返った時に、「どうしてプロのミュージシャンになりたいの?」という自分に対する問いかけが不十分であったと強く思います。
特に「なんでプロ?」っていう部分ですね。どうしてアマチュアじゃいけないのか。
シンプルに音楽が好きなんだとしたら、趣味でテープでもなんでも作って聞きたい人に聞いてもらえばいいわけです。それを仕事にする理由にはなりません。合理的ではない。
プロというのは私にとってアイデンティティーだったのだと思います。もっと言うと、勲章みたいなもんだな。
自分の人生をわかりやすくするための道具。eiさん流に言うと、ドラマティックなナラティブを欲していたのだと思うわけです。
つまり、自分の内面から出てきた夢はあくまで「音楽をやりたい」ということであって、どうしてプロなのかという理由は極めて薄弱でした。
分かりやすい、人に分かってもらいやすいという安易な理由で「プロになりたい」ということを公言していたと思います。
当時の私には決定的に不足しているものがありました。
それは「シアワセ」という価値観です。
人の夢は十人十色の千差万別!世界の価値観は多様で、一人として同じ人間は存在しません。
いろんなものが存在していてかまわないし、逆にだからこそおもしろい。
全員が同じ方向を向いていたら、その人がどんな顔をしているのかすらわかりません。後ろ頭しか見えません。
しかし、多様な私たち全ての人に共通する価値観があります。
その価値観のことをシアワセというのだと思うのです。
私はシアワセになりたくない!という人に会ったことがありません。
厳しく律して、自分を追いつめるようにあらゆる人生の虚飾を廃する人もいます。
しかし、その人はそうすることでシアワセを感じているのだと考えます。
退廃的な生活に身を置いて、「どうせ俺なんて」と毎日毎日考えている人もいます。
しかし、この人は自分がシアワセになりたいという欲求を立派に持っています。
夢を設定する場合に「じゃあ、それが叶ったらあなたはシアワセですか?」という問いかけはとても大事だと思います。
問いかけの主体は自分、答えるのも自分です。
見栄とか体裁とか頑張りとかじゃなくって、心がなんて言っているのか聞く作業。
私は全ての行動が、自分のシアワセに立脚したものでありたいと思います。
自分がシアワセだからあれする、これする。これが私にとっての「正解」です。
夢を達成してその結果「不幸せ」になるくらいなら、そんな夢は捨てちまえ!と思うんです。
夢や目標は、自分がシアワセになるための道具にすぎません。
人間はシアワセになるために生まれてきた・・なんていう言葉がありますが、もしこれが是であるならば、私たちはシアワセになることが人生のテーマなのではないでしょうか。存在意義なのではないでしょうか。
この話、続きます・・・・ちょっとアヤシイ記事だ(笑