世の中甘くないと思っている人の世の中は甘くない | 複雑系レトリック~自営業白書~

世の中甘くないと思っている人の世の中は甘くない

数年前におもしろい言葉を聞きました。

「世の中甘くないと思っている人の世の中は甘くない」

なんだかナゾナゾのようです。オウイエーわからんー

この言葉の意図しているところはこんな感じです。





瀬田の口癖は「世の中あまくねぇよ」だった。
還暦を目前にし、少ない収入で15人の子供を育て上げた彼にとっては生活は戦争そのものであった。
世の中はとかく自分の思い通りにならないものだ。思い通りになることがらというものが果たして存在するのであろうか。否、そんなものはありはしない。現実というものは厳冬のごとく厳しい。
彼は血反吐をはきながら生きてきた。

瀬田は車の免許を持っていない。彼がリヤカーで小さな子供達を運ぶ姿は、近所の名物だった。
町内の催し物や保育園の送り迎えは、愛車「大八号」の役目である。彼は近所の笑いものになるという代償を払い、頑強な肉体を手に入れた。

・・子供達がみな家を出たら、車の免許を取ろう・・

瀬田には決意があった。子供に手がかからなくなったら、大八号を押す彼の姿を見ながら笑っていた奴らを見返してやろうと心に決めていた。

彼は苦心しながらも25万円を工面し、まなじりを決して自動車教習所への支払いを済ませた。


路上教習も中盤にさしかかったある日、瀬田はある若者に声を掛けられた。見れば仮運転免許試験で一緒になった18歳の青年の姿がそこにはあった。

「瀬田さんですよね。これからどうですか?お昼、まだですよね?」

「あ、いいですね。行きましょう行きましょう」

自分の子ほど年の離れた青年に声を掛けられるとは思ってもみなかった。瀬田は何度も何度も青年にお礼を言った。

「こんなおじさん、さそってくれてありがとうね。」

青年の名前は野口といった。野口は色白で常に屈託のない笑顔を浮かべている好青年だった。マシュマロのような肌に、薄く紅をさしたような頬が印象的な美丈夫であった。

「野口君は高校3年生だね。もう進路は決まってるの?」

「あ、はい。○×大学の医学部への進学が決まりました。」

「それはすごい!おめでとう!」

「ありがとうございます。僕、医者になりたいんです。」

「うむ、がんばりなさい!でもね、世の中は甘くないよ。」

野口は少し考え込むような様子を見せた。彼の悩む姿にはローマの白い彫像を思わせる美しさが備わっていた。

「僕、実家も病院を経営していますし、なにより医者になりたいって心から思っているんですよ。父のようになりたいんです。それに自分には出来そうな気がするんです。」

「うんうん。分かるよ。若いときは誰でもそう考えるものだ。私だって行けるものなら大学に行って人様の役に立つことをしたいと思ったさ。でもね野口君、世の中には沢山の障害があるものだよ。私たちは何一つ思い通りになることなんてないんだ。」

その後瀬田は、自分の人生を短く熱烈に野口に説き聞かせた。無菌状態で育った野口にとってはあまりに過激な内容であったが、彼はその人生に強く引きつけられた。自分が瀬田の家族の一員であるかのように感じた。
瀬田は、野口がラーメンをすするのをやめているのに気が付いた。
野口は涙を流していた。

「ほらほらどうした、食べないか。のびてしまうぞ。」

「僕、やっぱり医学部への進学をやめます。今の話を聞いていて思ったんです、僕きっと医者になってもうまく経営できないような気がする。僕のお父さんはすごいかもしれないけど、僕は別にすごくないんです。ただでさえ病院の経営は難しいって・・・」

その後の言葉を野口は発することができなかった。野口は短く嗚咽を漏らした。

「そうかそうか、人生いろんな道があるものだ。君の決心を変えてしまったのは申し訳ないが、それでも人生とはそういうものだ。君もこのことに若くして気づけたんだから、それでよしとしようじゃないか。さて、教習の時間だよ、野口君。がんばって二人で免許を取ろうじゃないか。」

「はい。」

野口の表情は明るく輝いていた。なにかを見いだした人間、なにかに気づいて正覚を得た人間の顔をしていた。

二人は並んでレジまで歩いた。一秒でも多く語らいたいという意識が二人に芽生えていた。

「お会計はご一緒でよろしいですか?」


瀬田は言った。「別々でお願いします。」





こんな感じです(どんなカンジだ?)。

ちょっと話を戻しますね。

「世の中甘くないと思っている人の世の中は甘くない」

あ、そうそう、その話でした。危うく忘れる所でした!


世の中は見る人によって全く違う見え方をするものです。人の数だけ「世の中」があります。
わざわざそれをミステリアスにして難しく複雑なものに仕立て上げる必要はない、というのがこの言葉の本意だと思います。

人の数だけ世の中があるわけですから、その人がどうやって捉えているかに全てがかかっています。
もっと言うと、あなた自身が世の中を自由にデザインできるはずです。だって、あなたがどう捉えるかに全てがかかっていますから。


そういう意味で「世の中甘くない」という口癖の方にとっては確かに「世の中は甘くない」のです。そして甘くない世の中はその人自身が選択した世の中です。
他の人にとってそうであるかは分かりません。人それぞれです。
個人的に野口は医学部へいったほうがよかったと思います(そりゃそうだ)。


私はこの「世の中甘くないと思っている人の世の中は甘くない」に非常に共感しています。
なるべく「世の中なんてチョロいぜ」と思うようにしているのです。

ポジティブな言葉を発して自分を奮起させることってよくありますよね。「がんばるぞー」とか「絶対にやってやる」とか「俺はスゴイ!」とか、自己暗示をかけて自分をコントロールしているんです。


「世の中チョロいぜ」という口癖は、自分の可能性を認めることにつながります。その気になればなんでも出来るんだという意識を植え付ける言葉です。


つまり自分自身を肯定するための言葉です。


以前人はみななりたい自分になれるという内容の記事を書きました。こっちも長いですけどもしお時間が許せば是非ご覧下さい。


「子供には無限の可能性がある」ことは誰もが認めるところだと思います。それって私にも無限の可能性があるっていうことだと思います。子供と私とどう違うんですか?若くないから?家庭があるから?仕事があるから?
いいえ、関係ありません。私には無限の可能性があります。


先にも申し上げた通り、世の中は十人十色です。甘くない世の中があっても当然ですし、それを否定するつもりはありません。
しかし「世の中甘くない」という言葉がチャレンジをしない言い訳に使われているのだとしたら、自分のために再考したほうがいいのかもしれません。

私も「チョロい世の中」にあぐらをかかずにチャレンジ精神を磨いていきたいと思います。