震災から10年 | 複雑系レトリック~自営業白書~

震災から10年

スマトラ沖大地震とインド洋津波による被害は当初の想定を大幅に超えて、本当に甚大なものになってしまいました。
地震の影響で地軸がずれ1日の長さが変わってしまったというニュースも流れ、震災の恐ろしさを如実に示しています。

私は九州という地震があまりない地域で育ちました。そのため地震に対して元々かなりの恐怖感を持っています。高校では震度3の地震で大騒ぎとなり、授業がストップするハプニングもありました。そのくらい私の育った地域は地震に対する耐性がありません。
高校を卒業し、進学を選択した私は大阪にある学校に進路を決定しました。そのときに東京の学校も候補にしていたのですが、本当にシンプルな理由で進路を大阪に決定したのです。その理由は、そう

地震が怖い ものすごい怖い

関東は地震がたくさん起こるというイメージがあり、しかも自分でいろいろと調べてみると1923年の関東大震災から数えて既に70年近くがたっていました
当時、関東を中心にしたプレート型の地震は65年に一度の割合で起こるものだというのが定説で、素直にそれを信じた私は

「関東に行ったら、死ぬかも」

ということを本気で心配していたものです。(関東のみなさん、すみません)
そんなわけのわからない理由で大阪を選択した私は、なんとか一人暮らしを続けていました。
しかし、私が選択した関西で地震は起きたのです。10年前の阪神大震災です。

その日、朝方の4時ごろまでギターの練習をしていた私はどうしようもなく眠くて布団に入りました。地震が起きたのは確か朝の5時45分くらいだったでしょうか。
真夜中まで起きていたにもかかわらず、一瞬で目が覚めるほどのものすごい揺れ。
揺れるというより突き上げる感じで、地中になにか悪魔のようなものが存在するように感じました。ベッドが下から私をガンガン突き上げる感覚は、本当に他のなにものにも例えがたい恐ろしさを感じます。


地震が起きたらトイレに逃げろ、机の下に逃げろ、こういうことって実際に体験してみるとムリだということが分かると思います。
とにかく目を見開いて、揺れが収まるのを待つしかありません。恐怖のために他になんにも出来ないのです。

当時私は一応自炊をしていて、冷蔵庫が置いてありました。もともとがさつな性格ですので、包丁なんかを冷蔵庫の上にポンと置いてあったのです。
この包丁がくるくると回って、私の布団の上にボスッと落ちるのを見ていました(イラスト参照)。

当時私が住んでいたアパートは、近所では「高度成長時代の遺物」と称される非常にぼろい建物でした。10階建てでワンルームがぎちぎちに配置されており、窓と窓の感覚がだいたい2メートルくらい。
壁は信じられないほど薄く、隣がなにをやっているのかつぶさに知ることが出来ます。
1階あたり60部屋が密集しており、10階建てですのでざっと600世帯が住まうウサギ小屋のような所でした

地震が収まって外に出てみたところ、建物の壁に縦横のひび割れが確認できました。今考えてもよく倒壊しなかったものだと思います。
幸い電気などは通じていて、テレビで震源がずいぶん遠いことを知ってさらに驚きました。
こんなに怖い思いをしましたが、震源近くの被害に比べると本当にたいしたことはありませんでした

平生そういった殊勝なことを考えないたちですが、このときばかりは神戸にボランティアに行きました。
電車もとぎれがちで、そんなに遠くないのに3時間もかかったのを覚えています。
住宅地ではブルーシートが沢山見え、都市部では巨大なビルが簡単につぶされていて、道路はあちこち陥没していました。
1ブロックが完全に焼失しているところもあり、まるで戦争でもあったかのようだと感じたものです。


そんなこんなで大阪の学校を卒業し、どうしてもミュージシャンになりたかった私は結局東京に行くことになりました。
東京に来て半年くらいは地震にびくびくしていましたが、大阪での経験もあってすぐに慣れることが出来ました。ただ、関東に来てからかれこれ8年くらい経ちますが、大阪で体験した地震が今起こったら、やっぱり何も出来ずに立ちつくしてしまうと思います。

スマトラ沖地震では大規模な津波で沢山の人が犠牲になりました。テレビで津波の映像を見ましたが、こんなことが実際に起こって、人間ごときがなにか出来るわけがありません
地球にとってはちょっと寝返りをうった程度のことかもしれませんが、私たちにとっては本当に致命的な災害となってしまいます。また運良く生き残ったとしても、大事な人を失うという最悪の悲劇がおこってしまうかもしれません。
阪神の震災では、いまだ3割の方が未だに精神的なダメージが回復しきっていない状態といいます。

スマトラ沖では今後の感染症が心配されるところです。これ以上犠牲者が増えないことと、いち早い復興をお祈り申し上げます。