①このブロッグはほとんどいたるところ(almost everywhere) に誤字・脱字・いぼじ満載ですが、気にせずイケイケどんどんパッパ主義でゴーゴーゴーゴーでいきまっすっ。科学的論文でもないですしね。

朝のBS1ニュースの後はBS3で一二三んのにゃんブラ・Dカップ。人は猫派とイヌ派にほぼ分かれます。犬はオオカミさんをルーツとして、番犬(怖い人を含む大型動物対策)として人間が手なずけてきたものといえます。何のためにお手!とかお座り!とかしつけるのか爺には理解できないのですが。よく、幕府の犬め、とか権力の犬とかいうのは犬の一面と思いますね。自然分娩もできないように人間のエゴの犠牲となったとしかおもえない改良種もいますね。食犬というのも。猫は人間の思うようにいかない、一筋縄ではいかない、実に不思議というかなんというか、神ですわ。庄司薫が猫語を話せるとか言う本を書いてますが、猫は言葉要らずです。こちらが思ったことを瞬時に察するんです。しかも妙に忖度するという風でもなく。とにかく感心しきりです。猫と付き合っていると、よく自分の子供が思い通りいかないと悩む親は要するに自分の思い通りにしたいんだな、子供は親に似ず大物だ!と思いますね。大体、散歩させなあかんとか街犬にはなりにくいし、基本セレブが飼うものと思いますね。

 

②一知半解とかいう死語?がありますが、一知破壊ですわ。例えば命が尊いというのを小耳にはさむと、ツキノワグマの命>人の命とか、鯨は陸から海の戻った(川にも一部いる)哺乳類で、頭が良い(哺乳類は皆そうですが、ホルスタインも、デカパイは頭が悪いなんてま黒な嘘です。オケラだって賢いですよ)とロバの耳がかぎつけば、捕鯨は悪!!ですからね。牛君、豚ちゃんはどうなん?劣悪な飼料を食べさせて食べるのに不適だから捨てられたり、食品ロスの祟りは恐ろしいんですが。憲法を守ることは大事か知らないけど、何のための憲法でしょう?表現の自由を守ることが善?平和憲法を守るために争そったりおかしすぎ。暴力肯定論者はとかく、平和平和を唱えてカムフラージュする、それを衣の下に鎧がチラリといいますねんけど。みんな仲良く話し合ってより良い世界を目指しましょうを破壊する連中は合法的排除の論理を適用しないと、永遠にもめ続くような。

 

③先日かきかけたんですが、最近の暑さと雨降らずで庭の草木がグロッキー状態。これからは、ホースを使う予定。こっちが過度のオナ依存症に加えて、エサ不足もありましてグロッキーになりかねません。独り寂しくチーンとなると思いますので。梅雨の時期までは楽し気に草むしりをしていたりしたのですが、梅雨が来て水やりをこれでせずにすむ、ああうれしと思たら草ボーボー。それで気合を入れて除去してたんですが、今度は根元がこの暑さで乾燥しだして水やりというああしんど状態に。草ボーボーはムダ毛かと思いきや、根元の乾燥を防止していたんですね。秋の穏やかな気候になれば処理して根元に置けばそれはそれで一石5長でいいのですが。ほんま人のことは言えません。

ガーデナーがおバカさんだと、草木は枯れる、イケメンならなびくかどうか知りませんが。最近は強いひとがいいという人もいるようですね。

昭和天皇はかなり神に近づいた人と思いますが、先の大戦(300万人以上の犠牲が出た)は自分の責任だろうかと気にしていたようですが、ズバリそうです。彼は明治憲法の立憲君主主義をそこそこ理解していたと思います。天皇は国政にタッチしないということでも、2回タッチしています、モロに。1回目が2・26事件という陸軍上層部が青年将校をたきつけて起こそうとしたクーデターを言っても連中は聞かないので、)(自分の)馬ひけーと言って、しぶしぶ上層部に鎮圧させたことと、終戦を決断したこと。無条件降伏、自分はどうなってもいいからこれ以上はというの、言いたいことは山ほどあったと思うのですが。御前会議は賛否同数でしてね。徹底的抗戦を主張するのがいたのですが、負けを認めてとにかく戦争を終わらせたということです。明治憲法では天皇は組織的には国のトップであり、歯止めとして国政にタッチしないことになっていたのであり、軍などに歯止めが効かなくなれば、全責任をもって、身を挺してでもがんばるというのが天皇の最重要な仕事と言えますから。まあ神に近い近い言っても人間ですからしゃーないんですが。責任は自分にあったと自覚して、戦後の全国行脚があるわけですが、とにかくそれで日本が立ち直っていったことは確かです。しかし、全責任は自分にあると言い切る、それだけで何がどうなるわけでもないのですが、国民(広い意味での、みんな仲良くに賛同する人種・国籍など無関係な)と共に道を開いていく、国民に寄り添うとか、慰霊とか軟弱でない、雄々しいポジな天皇が期待されているように思います。憲法は今すぐ変えてどうこうなるとは思えません。もしこういう天皇であれば、初めであり終わりであるような存在であれば、歯止めなど不要と思いますね。