①朝のクラシック倶楽部は森麻季さんの、沖縄読谷村(よみたんそん)文化センターにおけるリサイタルでした。

幸せな気分。以前4曲入りかのCDを買って何か故障してそれ以来すっかり忘れていました。ソプラノでもcoloratura という(イタリア語の発音はローマ字的によんでOKです。理由はしらないのですが。仏語はちょっとアレですが)華麗で装飾的な歌い方をします。明るく上品。

シューベルト、バッハ・グノー、マスカーニのアヴぇマリアを歌ってました。3曲の歌詞の日本語訳を読むと、大体の内容が分かりました。慈悲深い聖母マリアに、限りない涙と悲しみを持つ乙女が信仰を抱きつつ明るい希望を、と切なく願い父なる神にとりなしを願うという風な。テキトーですが。神の一人子である兄貴、愛するわが子が処刑されて十字架から降ろされたその死体を抱くという経験をしたからこその慈悲深さとも思うのですが、究極の悲しみを味わった慈悲深い聖母マリアならきっと私のことを分かってくれる、パパにこの苦しみを取り除いてくれるようにゆーてちょうだい、みたいな。これはよくいうマリア信仰というより、マリアを通しての父なる神への信仰かと思います。直接ねぇ~、考えようによっては責任者とも言えますし。この時代の神学は、けしからんことをしまくる,創造した意に反してですよ、人に対して怒りまくっていた旧約的怒りの神学から、パパもちょっと待てよこれは自分の責任じゃないの?ということで、しかも通常手段ではこの子たちは救えんわ、とようやく気が付いて、パパも全知全能なんて思われているんですが意外にパぁ~なところがあるんですね、非常手段に訴えます。人間とのハイブリッドなる兄貴をマリアに聖(性)霊により仕込むわけですね、そして心根はOKなのにサタンの罠にえらいこっちゃ状態にある人間を救済すべく任せるべく。ただ問題は結構根深く、あえなく市内引き回しの上磔、がちょ~ん。復活したとか言ってますが、それはまあ通常の、仏教でいう転生したということですね、それなりの徴はあったというのは新約聖書に書いてある通りです。新約は原新約から輪廻転生部分は削除されているから、現新約の読者には唐突で嘘ぉ~、ありえないぃ~、という風なんですが。それから苦節2000年、おやじも無い知恵をしぼって、もうこれっきりもう、これっきりですよぉ~♪ということでですね、弟分を神人とはいえども人間同士に産ませて、ということらしいんですね、あくまでも個人的想像ですが。この弟が破天荒も破天荒、だからこそかもなんですが、ついに蝮の頭を打ち砕くという能力を身に着けるという。まだ能力に過ぎないんですが。どうやってそんなものを身に着けたのか、、、天性といえばそうかもですが、たまたまは磨いて鍛えないとです。優しく吸われるのも効果的?鍛え方も冷きん方とかいろいろあるようですよ。本人に聞いてみてください。修道女は結婚しないけど最終キリストの花嫁になるとか騙されて??修道士、神父とかはその特権を利用して??してるようですが、その天罰はスゴイらしいんですが、女性ってまじめなところがありますしね、、、どうもこれは嘘みたいなほんとみたいな。。。ただね、おやじは形式は問題にしない、どちらかというとお行儀は無視する派でね、修道女だからOKというわけではなく、やっぱりキリストの花嫁になるのは半分らしいです、聞くところによると。一般女性もそれは同じです。そして聖母マリアに祈る女性の苦しみとは、ですが、ここが大事なところです。なんだか、我こそは花嫁でおじゃるみたいなのはほぼほぼアカンみたいな。どういうんでしょうかねぇ~、そりゃ誰しもスケベ心はあるし、すごい気色のええ動画でも見ますとね。ただね、闇組織にお金をつぎ込むならユニセフにでも寄付した方がパパのおお覚えもいいように思いますけど、どっちみちダメなようにも思いますけど。生涯現役させme、なんて普通はひくとおもいますけどね。