拒食症に 倒れしカレンは 歌うアヴェマリア ちょいまっち カレンちゃんではないか

 

日出高校で 机を並べしという 妹の 梨花にときめく 理由(わけ)はわからねど

 

新人類 秋元杏月(あづき)も 杉原アナも 山のあなあな あなたより来る

 

長身の アフロヘアの ロッカーは 腰をくねらせ歌う 過去世から

 

今日(こんにち)の 女性は多く 呪縛さる そが解き放たれる 日も近づきぬ

 

金髪の 美女は歌えり さわやかに セイブミー Save me と さりげなくおしゃれに

 

 

①高安関が実力がありながら、必ずしも怠けているわけでもないのに優勝がまだできていない。自身のためにも、多くの相撲ファンのためにも優勝してもらいたいが、相撲を科学してみたら?と思う。トレーニング法などは昔からのものに加えて、アメリカで発達したスポーツ医学も取り入れられている。また筋トレなど他のスポーツでやられてういるものも取り入れられてきた。むしろ、四股、すり足、鉄砲など実に相撲向きによく考えられてきた基礎トレが非科学的とでも思われているのか、必ずしも徹底されていないきらいがあるような。それはそれとして、高安関が、なぜ優勝できないか理由を考えその対策を練るという優勝までのプロセスをノートに書いて、出来たら出版して共有化してもらいたい。ノートをベースにライターが書籍化してもいい。他のスポーツ選手にも応用可能と思う。精神論でもなく、ただがんばれでもなく。どうがんばるかとか。42回だか3回だかの前人未到、ここ当分この記録を書きかえる人はいないと思われる白鳳関のノウハウも知りたいところだが、とにかくいいと思うことは全て他人よりやっているらしいのだが。むしろ高安関の方が皆興味を持つのではないか。あるいはためになるのではないか。大関を張るというのは大変なことで、全力士の頂点近くにいる人なのであるが。

 

②記憶について、数学者岡潔のおことば?から。彼の記憶力は有名であったらしいのだが、卒業試験で習ったことを丸暗記して、睡眠薬の中毒になったとある。睡眠薬とは、おそらく当時は割合使われていたが、現在は禁止されているヒロポンのことと思う。実は私は中学の数学はさぼりにさぼって成績はどんどん下がって、高校入学時に春休みの宿題テストで、(チャート式という解き方がびっちり書いてある参考書のかなりの宿題範囲から問題がそっくり出題される)ほとんどの人が満点なのに50点くらいの成績で、当時は全国大会常連のサッカー部に合格発表後入ったが、入学式のあとすぐに、さすがにこの件で勉学との両立に自信をなくして退部したのだが、そのあと心を入れ替えて、小さな問題集で答えがぶっきらぼうに書いてあるもので考えるようにしたら短期間にできるようになった。一般の生徒には解き方が簡単に分からないので評判の悪い問題集であったのだが。爺は分かるまで考えるという風。いかにも能率が悪そうだけど、結局考える力は考えることにより身につくということ。高校の問題は考えれば解ける問題であるから、いつかとけるのですが。その後、2年生になると、その問題集をつかった東大出の物理の先生は担当ではなくなりチャート式のみになり、自分は面倒になって問題を見てすぐに解法を読むということをやりだして、数学は化学と並んで不得意というより成績が一番よくない科目になった。テストでは問題を見て解き方が瞬時に頭に浮かぶ問題を解き、そうでない問題はテスト時間中に考えるということはやらなくなった。その癖が無くなったと思うのは、院に進んでからと思う。院では試験は無かった。また試験というものはさっぱり出来なくなった。

元に戻ると、岡さんは研究者を目指す学生に対し、論文とかを読んだ時、脳みその画布に印象付けて焼き付けなさい、そうすると忘れても(そうすることにより、安心して忘れられる)必要になった時点で、記憶の奥底からよみがえってくる、というアドバイス。よく、観光地で写真をいっぱい撮って景色を見ていないひとがいるが、爺はじいっと見て、場合によっては短歌に読む。すると短歌を見直すと情景が瞬時によみがえる。数学的な内容を脳みそに焼き付けるには、それが文字情報にとどまっている限り、無理がある。絵にならないと。論文に書いてある内容を、絵になるまで落とし込むには多少の時間がかかる。分からなくても分からないままに絵にすることが出来る。昔からある単純な記憶法で語呂合わせ以外に、その場合でも実はそうだが、1192にコロンブスがアメリカ大陸を発見(もちろんそれは西洋人中心の歴史観だが)したというとき、コロンブスが船から望遠鏡を似ている絵といいくにが見えた、という記憶の引き出しとをむすびつけるのだ。これにたいし、記憶中心の各種テストをクリアーするためにやたら詰め込むと、最後は頭が蜘蛛の巣状態になりかねない。またWIKIという電子百科事典を利用すると

 

③人生100年時代にとにかく自助努力で2000万蓄えよという、それで片付くなら政治は不要ではないか、という件。爺はどんどんお金が無くなるが、それに従ってお金の使い方が上手になり、結果うまいものを食べられるようになってきた。こういう絵は、奥さん頼り、御曹司、受験秀才のお役人にはみんなが嫌になる、怒るでほんまに、という地獄絵しか描けないと思う。これならやれそうと自分の将来にワクワク感を持つ絵が必要だ。単純に考えると2000万が年金では不足するということだと思うが、そもそも2000万ためたとしてそれで大丈夫といえるのか。どうしたら2000万たまるのか。その為には楽しくない老前が続くのではないかなど。先ず、心豊かな生活を営めるためには、それが一体何かということを考えることが重要だが