①現在、庭仕事をやりかけたら寒いので書斎でパソコンに向かっています。腹が減ったので、ゆでておいた新じゃが、新ゴボウ、ニンジン、卵を少し、マヨネーズ、ウスターソース、マスタードで食べました。

 

②ある歌手が、自分は新妻聖子さんを素晴らしいとおもうけど、練習しても及びもつかないとか言ってました。新妻さんは女神化著しいです。つまり天才に。天才(素質としての)が天才におなり遊ばしたということです。人は素質としての天才を持っていますが、結果としての天才と秀才とは雲泥の差があります。女神に近づこうとして練習してもあきません。無駄ではないのですが、こういうやり方ではあかんのやと自覚できますのでね。先ず、後追いをしても所詮うまくいって秀才になるだけです。ではどうしたらいいか、ですが、全く違う路線で行くということです。

 

その前に、新妻さんですが、テキトーなことを言うと、女神は一日にしてならずです。ミュージカルというストーリーの中にある歌を歌うという経験があります。実際の舞台で歌えるようになるのはなかなかだったとおもいますが。そうなるまでに、その種の歌を、好きなのを色々歌いこんでいたかと思いますが。まあ歌謡曲であれば、普通作詞・作曲は誰かが作っていて、シリーズものもあるでしょうが、一つの切り離された、それ自体で独立したものです。まあ、その一曲に歌手や作詞・作曲家の経験したストーリー、それは広く人間の、というまでに普遍化できるものであったりするのですが、ぶちこむわけです、どちらかというとさりげなく、ときに激しく。ミュージカルであれば背景に、その全体のストーリが前提としてあり、それを踏まえているので、たとえば美女と野獣という全体のストーリーを聴くものは知っているという前提があり、難しようなやさしような。

 

爺はヘナぶり短歌を詠むのですが、ぱくりまくりですが、例えば古今の歌人の好きな歌からパクっているのですが、そういうのを覚えてという風ではできませんね、おそらく。色んな好きな歌を口ずさんでおり、脳内にその種の物やその他もろもろが入りまざっちて、なんかの拍子にピュッと?できるんですね。八一が歌詠みの歌はつまらん的なことを言ってますが、そのとおりですばい。

 

5/2のBS3の4時台の洋楽で、1985年OA分だったと思うのですが、イギリスのバンドが Johny come to home というのをやってました。この歌は新妻聖子さんが、 阿久悠作詞のジョニーへの伝言(高橋真梨子によって歌われた)をカバーして歌ったとき、ストーリー性をもって歌うと自ら言っていたが、イギリスのバンドのこの曲は家出少年が大都会で第一人者になることを夢見ていたが、両親が言えに戻ってほしい、いつか帰るという期待、望みに波乱万状の末に気づくという歌である。

ストーリーという、この場合はキリスト教の放蕩息子の帰還ということを踏まえているかと思うが、そういうのは女神化しないとなかなかということザンス。