山崎弁栄は、江戸末期に生まれ大正に入って没した天才的宗教家で、浄土宗に入門し、後光明主義という一派を形成した。彼の著書は幾つか見たが、私には面白くなかった。大事なのは理論では無く、ましてや主義ではない。ただ彼は様々な奇蹟(例えば講話に来た人の土産に、米粒にひょいひょいと南無阿弥陀を書いて与えた。それは現存する)をやって見せ、如来(最高レベルの存在。後述する)を慕わせることにより如来との合一を行った。ただし限られたひとにであり、どうと言うことは無いが。ただ上人は光明主義を残した。日本の行く末に危機感をもっていたが、それのおかげで岡潔に伝わった。岡は数学の論文発表をしなくなったあたりから、大変だ、大変だと警鐘乱打して胃に前代未聞の潰瘍をつくりお弟子さんなどの輸血により一命をとりとめた。その後もう警鐘乱打はしませんとし、来たるべき者を待ち受け?していたようである。

 

岡の著書はふつうの人にはついて行けないか、生半可に分かったつもりになるかで、後者には相当お冠だったようだ。標記の本は手に入らず、お弟子さんに借りてコピーしたが、全く分からず、また神がかって・・・とうっちゃっていたが、最近、数学研究を引き継ぐことが出来たと思うが、気になって見るとよく分かり大事だと思うのでかみ砕いてテキトーに書いていくつもり。本とは順不同である。

 

この世の物質的自然界の背後に、目に見えない天というものがあり、天は無量(中国の記数法で無量大数とは究極の無限大である)の神々がいて物質的自然界の中で起こる一切の現象は」その神々の統一的意志によるものである。

人は神々の言う処に従わなければ世の中がおかしくなる。それが人が分かり実行するには、神々が存在することを教えるだけでは足らず、神々の力が絶対的に強力であることを教えなければならないが、キリストはもう様々にゆがめられているから、日本には弁栄を地上に送り出した。神々の神を仏教的にいうと如来(修行を無限向上するという意味で完成してやって来た真理の体現者)とうことになる。人は如来と合一することが出来るが、如来を親と思って思慕すればよいのだが、その思慕の情が十分深くつよくなれば(困り切ったときは遠慮無く助けを呼べば良い)如来はご自身の御心によって会って下さり合一出来て、われが如来か、如来がわれか分からなくなり、結局あるものはただ唯一絶体の如来となる(というらしい)。立った今ワープして、ユーチューブの性感マッサージを見て放出。少し見ない間に充実していた。絵がきれい。

 

上人は現実世界において天の実在を奇蹟を行うことにより世の人の肉眼の延長に見えるようにした。エライ人の示すお道はアホには通りやすい。私見であるが、この場合の人とは、現存する人間の半数で、あらかじめ約束された人であり、悪魔に魂を売った人間は除外されている。