昨日の直虎で、磔の但馬の守を直虎が槍で突く迫真のシーンで、たじまははっきり聞き取れなかったが、白黒をつけるな、といっていたような。二人の言ったことは全て反対の、敵を欺く内容であったから、また、たじまは、なつから袂に入っていましたよ、と手渡された白石を直虎に渡していたから、いつも直虎は白持ちであったから(多分たじまの方が強かったと思うが)次の手を、おとわ、うちなさい、と直虎は思い、私もそう思っていた。このドラマは昔の話のようでいて現代の私たちに通じる話しであることも考え合わせ、その後のドラマ展開から、黒を殲滅しなさい、という意味ではないかと思った。
2年前に精神病院に3ヶ月近く入院して、おかげさまで様々なことを学び今日研究もまともに進みだした。退院後、学んだことを色々工夫して生活を変えていった。まあ、精神病は、生活(私の場合は今の処一人で数学研究ができること)に支障がなければ問題はない、つーか病気とは言えないとおもう、多少人とは違っていても。むしろ精神病でないと思われている人でビョーキと思う人が半分いる。
入院中に、友人の数学者とそっくりな人が入ってきて、最初に私の顔のそばでなにやらことばをかけた。直感的に、こわ、と思って黙っていた。その後、この人の言動おかしすぎ。あるとき、ミーティングみたいなところで、私が何か言うと(内容は覚えていない)、その人が立ち上がって、黒白をつけるようなことをしてはならない、と激しい口調で言った。今思うに、そうされたら困る人達なんだと思う。ごく最近まで、えんま帳をつけるだけであったが、世界のこの状況を見ていると、とにかく悪の殲滅をはかるよう勇気を出している。私は結構慎重派で、鍵でもピタァーと合わないとようあけない。時たまグチャグチャして鍵を壊す人がいるが。で、この人のそっくりさんの友人にはその年末から年賀状を出していない。私の友達の定義は年賀状をやりとりする人で、今8人である。
黒白の私の判定法、つまりリトマス試験紙は、信じていること、正しいかどうかでなく、心を打つかどうか、その人の実感にもとずいて、つまり自身の内なる声に正直であるかどうかである。例えばいとこの、連れ合いの遺句集を手伝った女性は、主人が言っておりましたと言う。こう思うというのでなく。その主人たるやおかしい。そうゆう風にものを考えると、反省ができない。私は、あ、しもたこと言うてしもた、と後で気が付くことが多いが、全て自己責任であるからいつか訂正し、何故間違えたかまで考えると物事が少しずつ分かってくる。「エホバの証人」はおかしいとおもうが、最近うちの近所で見かけないが、そのグループで、今まで敬服した親子と、美人女性が1人いる。今頃どうしているであろうか。
昨日のたむけんの学校にいこ、を見ていておもったが、当今若い人達の活躍できる場はひろがっており、受験などものともしないでクリアーしていく人も大勢いるようだ。頼もしい限りだ。僅かばかりの知ったことで、その後さして本質的に学んでいない人達によって、情け容赦のない社会が出来ているように思うが、そういうものをすこしずつ変えていくのは、これからの、学力面でその上をいく人かもしれない。この世は科学によってえらいことになってきているが、次の世代に引き継ぐには、科学無しには出来ないというのと同じ構造で。ただ、これからの超科学に必要な数学が何かまだ分からないが、いままでの数学だけでだめと思うので、私もその方向を視野におき研究していきたい。