お金というものについては色々あり、確か何かに書いておいて印刷しておいたが、ここではテキトーに書く。
先ず、お金を貯め込むと、「おぶさりてい」という妖怪がつくとむかし日本昔話でやっていたが、本当だ。昔の人は偉かった。先ず、皆が財布の紐を締めて、必需品のみ買っていると経済は 回らなくなることは経験済み。経済学者は消費マインド冷え込んで、というが、全くのバカだ。で、どうすればお金が回り出して経済が上向くかであるが、ケインズが穴を掘って埋めると、給料支払いにより失業も減り、購買意欲が出て消費が伸びて・・・といった。穴を掘って埋めるというのは全くの無駄である。無駄はやっていけない。社会全体がトータルとして豊かになっていかないからだ。パイを増やすという言い方もするが。無理にやっても全体に行き渡らないゼロサムゲームとういよりマイナス・サム(sum=総和)ゲームであるからだ。何の為に経済学者は算数を勉強したのか、おそらく魂胆があってのことと思う。富の総和を大きくすることと、偏りを無く、つまり富の再分配することが大事でこのプロセスを繰り返す、つまり富の拡大再生産。同じに分けるということではない。それを目指すと、動きがなくなり停滞する。
無駄と言えば、拙宅は徒歩2~3分でバス停に行け、阪急、JR,阪神が利用でき、一旦座ると、このバス停から乗るとほぼ100%座れ、座っているとその沿線の最寄り駅につく。で、私は全て公共交通機関を使用し、支払いは全てイコカ、必要であればタクシーに乗る。ところが家の近辺の新しい家は家前に外車などを置いているのが多い。全くの不経済で非エコ、見栄以外の何者でもない。私は却って恥さらしのように思う。大体見栄をはるひとの貧乏人根性が見え見え。貧乏など気にもしないのは見事とおもうが。日本のGDPの1割以上を占める自動車産業が不要というつもりはない。日本でも場所により目的により小型車も必要である。ただ大型店舗解禁(規制緩和のひとつ)となり、最寄りのよろず屋は消滅し、遠い駐車場の広い処に集約された。最近コンビニで地域密着型の試みもなされつつあるが。乗り合い白タク的なものをそういう処は規制緩和すればいい。特区というのも悪くはないが、柔軟に対応してもらいたい。既得権益は無下に否定せず、あくまでもあぐらをかかせず、あくまでも国民目線の政治をやってもらいたいものだ。そうすれば支持率など簡単に上がる。何でも一律という考えがおかしいのだ。
近頃言われているシェアーしあう(お互い様。自宅にそれぞれマイカー、駐車場所や、自宅の空いている部屋をうまく共用すること。昔はお醤油をきらした時はお隣さんに借りたりした。パートナーをシェアーしたい人は勝手にやればいいが)
人によっては盆暮れの帰省時に荷物もあるし必要と思い込んでいるようだが、その種のことにマイカーを使わなくなると、それなりに各種の公共交通サービスは増える。また、時差出勤もおかしな考えと思うが、盆に関しては会社も家族も考え方を変えて、結果的に時期が集中しないように出来る。私のサラリーマン時代であるが、30分早めに出ると、JRも地下鉄も座れる。大阪の地下鉄はラッシュの時でも2~3分で次が来るから、5分くらい見送ればよかったが、東京のラッシュはすごいものがあったからこの手は使えるかどうか知らない。相当以前からソーホーとか言って大概は在宅で仕事をして、作成した文書や、簡単な打ち合わせはメールのやりとりでするてな動くがあったが。その頃から作詞家はFaxから、PCで打ち込んでメールで送るようになったと聞く。戻ると、ある程度早い時間であれば部の扉は担当の女性が開けてくれており、その日の仕事の段取りをメモっていた。
とにかく見栄張るは無駄。周りをみて、必要もないのに仕事をしているのも無駄。システム技術を担当していた大学の先輩は、5時から男で、課長待遇になったとき、(残業代が無くなったで)給料が減ったとぼやいていた。この人の技術力は私から見るとデタラメ。人にはエラそうなことを言っていて、人にはどんどん教えなかったが。情報、知恵はどんどん無料で回していく時代になった例として、AI作成ソフトが最近そうなったとネットニュースであった。企業名は忘れたが、トヨタなどもそういう考えに変わったらしい。おそらくj同運転などのことと思う。トヨタとしては、自動車本体の売り上げが増えればいいんだし。
お金は高い方から足りない方に回すということ。日本においても世界においても。公平を目指すてな甘い言葉に騙されてはならない。使える人は、楽しいことに使う。東北でも熊本でも、旅行に行って食って泊まって、お土産を買うというやりかたが、緊急時はしょうがないが直接寄付するよりじわじわした効果がある。時期的にもまちまちになるから、年中お金がまわり、皆が元気になる。これはメディアも分かってきて、うまいこと需要喚起をしている。
昔のキャリアー組はほぼ東大で大内兵衛によってマルクス主義で洗脳されていた。この種の人は覚えることで勝ち上がってきた?ので自分の頭で考えず、固定観念がこびりついているから始末が悪い。例えば、固定資産税をやたらとり、しかも分割相続になるから結局代々蓄積したものが消えてしまう。彼らの主張は公平に人生のチャンスを与えよ、同じスタートラインで、ということだが、元々公平・平等というマルクス主義の考えで成功したのは昔のカストロのキューバくらいのものだ。私は、双六のように、あがると上がった人はそのままにして(最終的には自己責任に任せて)、次のゲームをやり、次第に上がりを増やすという考え。大内式にやると2~3代も続くと全てが消滅し、家屋敷も使うべき人がいなくなり、お金が回らなくなり、結局皆が公平に?貧乏になる。
農家は所得税も固定資産税も優遇されてきたから、問題は後継者の有無で、外国の、特にアジア系の人などにどんどん来て貰うとよいと思う。自然と接している人の顔はとてもいい。日本の女性も子供の教育とか色々固定観念を捨てたほうがいいような。本当の教育とは何かであるが、いろいろ柔軟に考えるといいと思う。
誰が必需品以外を買うか、何に使うか、どう使うか、そうしないと結局自分たちの首を締めることになることについて私見を述べる。
気が付いたことからランダムに述べる。よく将来不安を煽る政治家が多い。年金がどうのこうのといい、年金型の保険、働けなくなったときの給料型の保険が宣伝される。大体、少子高齢化社会が来るということだが、今の状態から今までの考えでやるとそうなるだけのこと。年金を国が払うために消費税を上げてどうする。少なくとも消費を思い切って増やすことに知恵を絞るべき。大雑把なことを言えば消費が2%増えれば消費税は上げなくてよい。黒田日銀総裁は気色の悪い顔をして物価上昇2%を目標とすると言っていたが、確かに見かけの消費は2%増えるが、実体の無い消費増である。とにかく恥さらしであるから消えて貰いたい。
私がサラリーマンになったとき会社の昼休みに来るおばちゃんに奨められて、はいはいと入ったが、その時は好景気の時代で、であるから私のような者が会社に潜り込めたのだが、満期時300万受け取れるということであった。あくまでも予想配当ということだが。その後景気も悪くなって、満期を前に解約して200万もらった。満期まで掛け金を払ってもしょうがないので。しかし有り難かったことは確かである。ただ元々私は使うときは使うが、無駄には使わないから貯金しても同じという気もするが。当時社内預金金利は9%であった。何せ会社は手形の不渡りを出さないために(2回やると自動的に倒産する。黒字でも倒産することがあるが、原因はほぼこれ)高利貸しからも借りていたらしいから。その時代は1日1億の赤字を出していた。数年前、シャープがギブアップしたときは、その数倍の赤字を出していたがようだ。どうしてそういうことになるかというと設備産業の宿命みたいなもので、私のいた会社の合成繊維をつくる機械を一度止めると、ノズルがつまって二度と使えない、何十億の設備が。で、ずるずると赤字を増やすことになったりする。社長というものは時に冷酷な決断を必要とされる。はやりの言葉でいえばサイコパスみたいな。
子供が出来たとき、当時の奥さんが高い保険にいれさせようとするので、魂胆見え見えだし、近くの保険会社の提携医院で、精神病院・・・回入院とか正直に?言うと入らなくてよくなった。入社時は、おばちゃんが病気はしたことがないでしょ、はい、てな調子であるが、入社3年して再入院したときは入院時に幾らかでるが、そういう事情はしっているから何も言っていない。保険会社はおばちゃんはべつとして、慈善事業ではないのであくまでも補償費などは払いたくないのだ。こういうことは頭の中においていた方がよい。
消費税などいくらどう国民に約束したからといって、上げてはならない。上げたら税収は減ることを国民に説明すればいい。政治経済は生き物であり、日和見主義しかない。そもそも消費税はゼロにしたほうがいいという人も結構いた。西洋はこうだからとかいう人がいるが、日本は独自の理想的な国をつくり、世界のお手本になるくらいが丁度いい。
話が長くなってきたので、別の機会に。こんな話しはおもしろないやろね。確かに。