数学研究に限ると、アイデアを云々する人がいるが
結局は、他者あるいは自分の過去のアイデア?に
帰着する。
過去の天才による画期的発見も、数学史をひもとくと
そういうことになるようだ。
結局、様々な人々による積み重ねではないのだろうか。
岡的に言うと、過去のものを情緒化して蓄えておくと
自然にそういうものは出て来るように思う。
岡はそういうものを記憶の奥底から呼び起こすというが
それがどうもクサイ。
自然法爾(じねんほうに:自然に分からされる)
ではないだろうか。
岡は親鸞の他力はありゃあかんという派であったようだが
親鸞は絶対他力であり、自力門の人も
究極は自他はなく、他力であると言う人が多い。
それは実感であり理屈ではない。
岡はがんばった人で、他力というのは
気に入らなかったと思うが、そこがやっぱりクサイ。
あらゆる思い込み、固定観念を捨てて
自由に楽しくやろうのがいいと思っている。
しかしこう言えるようになったのは極最近で
岡ももう少し研究をやっていれば
どうなったのだろう?
継続は力なり、なのかな?
つまりは、田坂氏の言うとおり、実行する
ことが大事ということになる。
ただし、あの世の図書館には、
既に分かったことから自然に導出されることは
最善の証明で書かれている
(エルデッシュはそれをThe Bookと言っている)
が、飛躍のある部分は、天才の出現を
待っているそうだ。そんことをビエイユは
一般の数学者は、天才数学者の共鳴箱に
過ぎないと言っている。
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> 田坂広志 「風の便り」 四季 第83便
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> ゲーテのすべて
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> ドイツに、文豪ゲーテに関する諺があります。
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> ゲーテは、すべてを語っている。
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> その諺です。
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> ゲーテは、膨大な著作を残し、無数の格言を残している。
> だから、誰かが、何か格言めいたことを思いついたときには、
> 最後に、「ゲーテも、そう語っている」と言っておけばよい。
> かならず、ゲーテの言葉の中に、それに類したものがある。
>
> そういう軽口とともに語られる、諺です。
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> しかし、この諺を目にするとき、
> 改めて、深く思います。
>
> この言葉は、真実ではないか。
>
> 人類の文明が始まって、数千年。
> その永い歳月のなかで、
> 多くの優れた人々が、この地上に現れ、
> 無数の素晴らしい言葉を残し、
> 去っていきました。
>
> すべては、すでに語られている。
>
> それは、真実です。
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> されば、
> 我々に問われているものは、何か。
>
> 行ずること。
>
> それだけなのです。
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> 2003年6月2日
> 田坂広志
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