100万の寄付のことだが、私はさほどお金に困っていない時は、額は少額だが応援的にいくつかの処に寄付した。寄付とは喜んで、ポケットマネーでということで領収書は貰わないのが普通だ。舛添さんならいざしらず。彼のポケットの概念は普通とは違うらしく、公私混同など言われたりした。過去?の人にいつまでも言うのもどうかと思うが。彼はTV復帰を考えていたようだが、事情は結構厳しいようだ。猪瀬さんは最近よく露出しているが。

 

公的な処に寄付すると、向こうの事情かと思うが、領収書をくれる。今は消費税以外は、所得税、市県民税は払っていないが、所得税控除に関係するかと取っておいて聞くと、大概のものは環境とか福祉関係だが対象にならないので、それ以後領収書を保管することを止めた。

 

森友学園の場合、財政的なことが問題視されていて、寄付がどれだけ集まるかは大きい要素であったから、100万の寄付の記載がないのも不思議に思う。篭池氏自体が不思議な人のようにも思うのだが。安倍、稲田氏をはじめ右寄りの人が「日本会議」みたいなのに参加し、篭池氏もそこに属していたつながりがあったということだが、あまり日本というのを強調しすぎるのもどうかなと思う。民族的なものでなく、象徴的に言っているのかもしれないが。

 

先週だかの日曜の朝に関口宏がやっている番組で、怖い顔のおじさんが「戦後民主主義」をあたかも正しいことののように発言していた。教育勅語に対比して。私は「戦後民主主義」というものには否定的である。戦後の、日教組が仕切っていた教育ははっきり間違っていたと思う。そのつけが、現在の日本社会のあちこちで出ていると思っている。教育勅語は私にはチンプンカンプンで分からないし、分かろうとも思わない。私の場合は、高校は旧制帝大、高等師範出の人が多く恵まれていたように思う。次にそういう教育を受けた人が教育者になり教師を生み出した。現在は新制教育オンリーの世界である。つまり戦後民主主義漬けの。その反動として「日本会議」的なものがあるのだろう。悪しき?戦前の反動としての戦後。残念だが、どういう体制においてもゆがめられるのが世の常と思う。

 

よく言われるのだが、欧米はセレブの寄付はステータス的要素があると思うが大きいらしい。日本ではクラウドファンディングというのか、庶民の寄付がしやすい仕組みを作るのは大事と思う。故郷納税も元々の趣旨はその辺にあったはずなのだが。

 

最近は何らかの形で体?で寄付?をしようと考えている。貧困家庭の教育に資することが出来ないかと、西宮のボランティアセンターに登録したが、今の処オファーはない。精神障害者の施設みたいな処に体験セミナーに行ったあと、少し前にウエストサイドストーリーの鑑賞に参加させて貰った。お友達にさせてもらったらと思っている。あと、別の障害施設のブックカフェみたいな処にも行きたいな、と思っている。