現在、世界で問題になっているのは、IS、つまりイスラム原理主義であり、すさまじいことをやっている。

 

ISが目の敵にしている穏健なイスラム教徒でも、時代により、教派にもよるのであろうが、昔はインドの仏像の目を破壊したり、石仏そのものを破壊したりしている。モハメッドは旧約聖書を原典とし祖をアブラハムとするから、当初はキリスト教には敵対意識は持っていなかったが、キリストは預言者の一人であり、自分が最後の預言者と言ったため、偽預言者として罵られ、やがて聖戦を周辺国に仕掛けていったとされる。ただ、征服してもイスラム教を押しつけることは無かったという。信仰は押しつけるものではないと識っていたのであろう。

 

キリスト教は十字軍での残虐行為を見ても分かるように、その当時はキリスト教徒以外は人間では無く、何をやってもいい、と思っていたようである。暴君ネロにやられたことをもっと大規模にやったといえる。最近ではヒットラーのホロコーストに協力しているが、ローマ法王がユダヤ人に公的に謝罪しているのだから本当であろう。

 

民主主義なら大丈夫かというと、ある集団内の民主主義、合議制、多数決であって、カソリックの重要な方針もバチカン公会議で決められるであろうから、ナチスの件もやっちゃったということだろう。

 

原理主義は自分は正しい、他の考えは間違っている、従ってそちらに耳を傾けない、とうことだ。民主主義は少数意見を尊重することが前提にある。理想的には議論を尽くして、全員賛成になることと思うが、現実的に、次善策として多数決で決定される。ところが、民主主義を標榜している人にも以外と自己中で、自分の都合のいい、自分の考えに沿った情報に頼る、拾わない、あるいは多数決を数の論理であると言い立てたりしていて、難しい。

 

例えば、北朝鮮は外部からの情報に対し、バリアーをはって遮断しているから、国民は別の考えを知り得ない状態におかれている。音楽会で携帯の着信音が鳴ると困るが、強制的に電波を遮断している原理と同じである。中国はNHKニュースは流れているらしい。時々あるいは頻繁に、都合の悪いときは画面が真っ暗になるらしいが。ただ、SNSは簡単にアクセスできないそうだ。ソ連でペレストロイカの1つとしに、情報公開というのがあったが、案の定あっという間にソ連は崩壊した。ISはどうなのであろう?

 

どうすればこういった状況を変えられるか?であるが、意図的情報閉鎖社会では難しいと思う。幸福の科学は原理主義的な点でオーム真理教と似た所があるように思うが、今後どうなるのであろうか?創価もそういう傾向があったが、随分マイルドになり、最近は右より健全になってきたようにさえ思う。前に書いたが、誰かが、多様な社会で少数派としてもまれると、次第にマイルドになると言っていた。これは繰り返し書いているが、一般の生物でもその時点で問題を克服した種はある種の進化をして次世代に生き残るということらしい。これがダーウインの言っていたことと少し意味が違うが、生存競争が進化の原因ということではないのか?