これは、番組で紹介されていた(VTR)、山田健太専修大学教授の考えであるが、「事実は一つである」という発言である。こういう人間がいるから問題が錯綜する。数学においてすら事実は一つではなく、何かを探っても事実を見いだせないとき、それに関する事実が幾つもあるとき、がある。方程式に記述されている場合、その解は真実というより事実かと思うが、答えの無いとき、複数有るとき、なにやら(無限)集合をなしていたりする。数学でなくても、例えば今日は雨降だったということすら、何が事実であること自体わからないし、それは人によるといえる。どんな日でも雲の上に雨は降ってはいない。これは屁理屈をいっているのではない。公的に発言するなら最低理屈にあった風でないと。

 

事実の上?に真実があるが、誤解されている節もあるが、ノンフィクション作品は事実のみではなっていない。第一そんなものは面白くない。そういう作品を書く作家の目的がふつうあり、事実をベースにしているが、目的にそうために脚色やストーリー付けなどがなされている。場合によって、それが真実をついていたりする。そのことは最終的には読者の判断に委ねられる。学生のリポートではないんだし。数学の場合、それまでに分かった自分なりの、他人の研究を含む事実を綴ったりして論文を書くが、自分のベースにした事実に1つでも誤りがあると、どんな結論でも出て来る。また、扱っている対象が無い場合も同じである。いわゆる空論である。自分の出した結果が誤りである場合は、ふつう数学者の常識に反することが結論されたりする。論文を投稿してレフェリーに指摘されて分かることもある。結論は正しいが、論証が不完全な場合は、私には多い。あるコメンテーターによると、大統領選におけるトランプ側の怪しげ情報は7割、ヒラリー側は2割くらいはあったらしい。そら恐ろしい世界だ。

 

大宅映子が、「正義は一つにしてほしい」と発言していたが、一体なんのこっちゃ?正義とは一体何なのか?キリスト教でいう正義なのか、イスラム教の言う正義なのか、一体正しいとはどういうことなのか?そういうものは永久に1つにはならない。キリスト教、イスラム教の世界人口比を考えてもみよ!混迷をもたらしているのは、正義という意味不明なものを持ち出して、1つにして欲しいてなことを言う抽象思考?の持ち主に一半の責任がある。してほしいなど誰に頼んでいるのか?思考停止に陥っているコメンテーターは恥さらし用に使うしかないと思う。