甘利さんが久々に表舞台に出て、顔のきれいな人だし、はめられたんかいなと思っていたら、どうもそのようであったようだ。地元の事務所を誰でも来られるように開放していたりすると、いくらでもしてやられる。人は脇が甘いとかいうが。大昔、女子短大に勤めているとき、研究室?に鍵をかけることはなかったが、学生さんが先生、本を取られますよ、と言った。たしかに、佐野洋子の「普通はエライ」を持って行った人がいたが、記念に持って帰ったんだろうと思っている。買い戻したが、給料をもらっているんだし、空いているときにどういうものを読んでいるか見て欲しくもあった。おかしなばばあが面白い本が置いてあるよと、別のおばちゃんと一緒に入ってきた時に言っていたが、要するに勝手に入り込んで見ているわけだ。どうでもいいことだが。
オヤジギャグのディープスペクターが出ていたが、この人の言うことも極めてまっとうである。一頃、アシュケナジーユダヤということで色々言う人がいたが、問題は人種的なことではない。最近の遺伝子解析では、やはりユダヤの血が入っているということだ。問題は何を信じているかで、悪魔を信じている偽ユダヤ、何を信じているのか不明のイスラム原理主義のISを峻別することにある。キリスト教にしても、イスラム教にしても、過去に数々の過ちを犯してきたが、人間というもの、それの信じている宗教はそういうものであり、誤りを反省していく、それが出来るかどうかが問題なのだ。
いつものことながら、手嶋のいうことはおかしい。ようするに、知識にのっとって考え、発言している。この種のことは最終的には、直感、実感に基づく以外にはないのである。数学においてすら、それ無しには何も分からない。知識を否定するわけではないが。私は顔がきれいかどうかで最終的に判断している。日本では40を過ぎると自分の顔に責任を持てという。ふしぎなのであるが、顔のきれい人と、そうでない人は半々に分かれる。フェイクニュース対策にはこれしかないように思う。それにしても、最近の女性は美人ばっかしだ。釈迦が出現したときの釈迦族は美男美女ばっかしだったそうであるが、これはどういうことだろう。