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田坂広志 「風の便り」 四季 第17便
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「人工」という「自然」
『ソラリスの陽のもとに』というSF小説で有名な
ポーランドの作家、スタニスワフ・レムが、
あるエッセイの中で、興味深い話を述べています。
我々が山道を歩いているとき、蟻塚を発見したとします。
そのとき、我々は、その蟻塚というものを、
自然の営みがつくった面白い構造物であると感じます。
それを決して「蟻工物」とは考えません。
あくまでも自然が生み出したものであると考えます。
我々にとって、蟻とは自然の一部だからです。
これに対して、我々は、
人類がつくった都市という構造物を見ると、
それを「人工物」と考えます。
我々は、自分自身を、
自然を超えた何かだと思っているからです。
しかし、もし高度な文明を持つ宇宙人が地球に到来して、
人類のつくった都市を見たならば、
彼らは、我々が蟻塚を見て感じるように、
それを、地球上に芽生えた生命がつくりだした物であり、
自然の営みがつくった構造物であると感じるかもしれません。
これが、スタニスワフ・レムのイマジネーションです。
そして、このイマジネーションは、
かつて、ノーベル賞科学者、イリヤ・プリゴジンが語った、
次の言葉を思い出させます。
我々は、自然から分かれて、
なおかつ自然の一部である。
我々が、それを、どれほど「人工」であると考えても、
実は、それは、「自然」の営みに他ならないのです。
2002年2月21日
田坂広志
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成る程ねぇ~。そのSF小説の作家も偉いし、田坂さんも偉いひとですね。私など思いもよらないというか。自然から分かれてなおかつ自然である我々が自然を破壊しているのも「自然の営み」に他ならない・・・やっぱりわかりません。ある意味こんな私の方が自然なんでしょうか、余計こんがらがってきました。
田坂広志 「風の便り」 四季 第17便
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「人工」という「自然」
『ソラリスの陽のもとに』というSF小説で有名な
ポーランドの作家、スタニスワフ・レムが、
あるエッセイの中で、興味深い話を述べています。
我々が山道を歩いているとき、蟻塚を発見したとします。
そのとき、我々は、その蟻塚というものを、
自然の営みがつくった面白い構造物であると感じます。
それを決して「蟻工物」とは考えません。
あくまでも自然が生み出したものであると考えます。
我々にとって、蟻とは自然の一部だからです。
これに対して、我々は、
人類がつくった都市という構造物を見ると、
それを「人工物」と考えます。
我々は、自分自身を、
自然を超えた何かだと思っているからです。
しかし、もし高度な文明を持つ宇宙人が地球に到来して、
人類のつくった都市を見たならば、
彼らは、我々が蟻塚を見て感じるように、
それを、地球上に芽生えた生命がつくりだした物であり、
自然の営みがつくった構造物であると感じるかもしれません。
これが、スタニスワフ・レムのイマジネーションです。
そして、このイマジネーションは、
かつて、ノーベル賞科学者、イリヤ・プリゴジンが語った、
次の言葉を思い出させます。
我々は、自然から分かれて、
なおかつ自然の一部である。
我々が、それを、どれほど「人工」であると考えても、
実は、それは、「自然」の営みに他ならないのです。
2002年2月21日
田坂広志
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成る程ねぇ~。そのSF小説の作家も偉いし、田坂さんも偉いひとですね。私など思いもよらないというか。自然から分かれてなおかつ自然である我々が自然を破壊しているのも「自然の営み」に他ならない・・・やっぱりわかりません。ある意味こんな私の方が自然なんでしょうか、余計こんがらがってきました。