気まぐれ何でも館:(609)岡野弘彦(飛天)(16)
  
 いたどりの茎立ち赤きふるさとの墓山にゐて父をなげかふ
  
 桜ののち降りつづく雨土ふかき父のむくろは濡れとほりゐむ
  
 裏庭のひばの木下に乾く石老いたる父のなげきの座そこは
  
 咲き垂るる夜の桜の下に立ち父をおもへばもの狂ほしき
  
 屋敷木の梢ぼうぼうと風に鳴りそこ過ぎてゆく魂見ゆる
  
 心ややさだまりてきぬとよみゐし雪の檜山(ひやま)の冷えとほる色
  
 立ちめぐる群(むら)山の上をかけりゆく蒼き飛天をわれは幻(み)てをり
  
 墓土の凍てて堅きを堀りあぐる村びとの肩に雪ふりしきる
  
 雪の下に父をうづめて帰りきぬ陽かげりて寒き峡のわが家に
  
 葬りきて花おぼろなる夕庭の馬酔木(あしび)の下に耐へがたくゐる
  
 散り頻(し)きて墓をおほへる桜の花なきたましひも出でてあそべよ
  
 亡きのちにうから争ふすべなさの耐へがたし我はみづから去らむ
  
 かなしみの心呆けて歩み入るぜんまいの芽のほぐるる山原
  
14.9.12 抱拙庵にて。