慶応の経済を出て3年下着メーカーのワコールに勤めた人が、楽するより、半殺しになる好きな談志に入門して、前座を9年やるドジで真正直な落語家の半生記である。
師匠の無茶ぶりの指導は情け容赦が無いようで、それを何とかクリアーした者には実に有り難いものであることが、後になって分かってくる。
落語家として天才であった談志は、弟子の教育においても天才的であったといえよう。大学院などでこういう指導をする教授がいれば、今ならアカハラで問題となるであろうが。
組織の中で動くのが苦手で嫌いな私は、妻子を養うために何十通も常勤の就職用の書類を書いたが、結局そういうのは神さんの望むところではないのだな、と途中で分かって非常勤講師でやっていくことに決めたが、離婚して息子も半独立して、週4日行っていたのも今では1.5日に絞り、今は天国状態。やっぱり神さんはよう考えてはりますわ。
大事なことはすべて立川談志に教わった
師匠の無茶ぶりの指導は情け容赦が無いようで、それを何とかクリアーした者には実に有り難いものであることが、後になって分かってくる。
落語家として天才であった談志は、弟子の教育においても天才的であったといえよう。大学院などでこういう指導をする教授がいれば、今ならアカハラで問題となるであろうが。
組織の中で動くのが苦手で嫌いな私は、妻子を養うために何十通も常勤の就職用の書類を書いたが、結局そういうのは神さんの望むところではないのだな、と途中で分かって非常勤講師でやっていくことに決めたが、離婚して息子も半独立して、週4日行っていたのも今では1.5日に絞り、今は天国状態。やっぱり神さんはよう考えてはりますわ。
大事なことはすべて立川談志に教わった