気まぐれ何でも館:(600)岡野弘彦(飛天)(7)
帰り来し暁の庭に先生はわれを迎へて佇ちいますなり
やはらかきをとめの指のとどかざる清きさびしさのしきり恋ほしき
降りしきる雪のもなかに立ちつくし身はすき透る。人を悼(おも)へば
昨日(きそ)の雪かがやく山を恋ほしみて呆れぼれと坐(ゐ)る古き畳に
雪ふかき箱根仙石原。師の家のみつまたの花ふふみつらむか
三十年(みそとせ)は久しと思へど墓碑銘のなげきの前に立てば身震ふ
春はやき天城の山の沢水にわさび花咲くときに来あひつ
人去りて山ひそかなりわさび田の堰(せき)をあふるる沢水の音
花白く峡をうづむるわさび田は暮れなむとして水匂ひたつ
大甕に活けし桜の咲きあふれ色澄みてくる部屋に灯ともす
今生の花に見ほれて飽かざらむわが後の世はさびしからむに
呆けたる父がもの喰ふ幼なげに唇(くち)うごかして飽かずもの喰ふ
わが胸の奥にひそかに沁みいづる水のごときを父に注げり
襞(ひだ)ふかき父の面わの夜の翳り遠世の祖の顔みえてくる
石楠花のはなくれなゐに莟(ふふ)む日をまなこ疼きて家ごもりをり
14.7.3 抱拙庵にて。