気まぐれ何でも館:(597)岡野弘彦(飛天)(4)
  
 唇(くち)薄く引きむすびゐしおもかげの三十年(みそとせ)を経てなほぞなごまぬ
  
 わが二十(はたち)師に添ひてゐて企てしおほよそはむなし盛年(さだ)すぎむとす
  
 年ごとにつどふ人少なくなりゆきて足とぼとぼとみ墓辺に寄る
  
 いちはやくくれなゐきざすななかまどのそよぎたちまち霧にかくるる
  
 秋萩の紫ふかき山原を分けて歩めり身のけぶるまで
  
 野仏の石にほのかに手触りつつ旅をやめなむ思ひわきくる
  
 秋の陽のするどき真昼喰み飽きし牛みな草に臥して寄りゐる
  
 別れきて秋草原にたたずめばまざまざと見ゆ母の涙眼(なみだめ)
  
 照りしらむ月の光を身に浴びていきどほる母の面わ冴えくる
  
 対(むか)ひゐる大島の灯のあたたかし星よりも明くしきりまたたく
  
 海峡の底に沈めるうろくづもこの照る月に浮きいでてゐよ
  
 草の葉にほのかに息をつきてゐるうすばかげろふの羽根すきとほる
  
14.6.14 抱拙庵にて。