気まぐれ何でも館:(596)岡野弘彦(飛天)(3)
  
 春彼岸すぎなむとする日の夕べ職退(ひ)きし友と道玄坂くだる
  
 友よりも背を丸くして歩みゐる老いの形におのれおどろく
  
 夜を徹し書きしものみなむなしくてよどむ怒りをしづめがたしも
  
 ひめしやらの木肌うるほふ朝山に入りてやさしき心となりゐつ
  
 海あをし立ちても坐(ゐ)てもすべもなく人の恋ひしき夏いたりけり
  
 花終へし栴檀の木の下かげに白じろと立つ若きまぼろし
  
 みぞおちにしたたる汗を拭ひつつ秘色の肌の冷えを愛(かな)しむ
  
 雉子の子のいでてあそべる山かげに心ほほけてまじりゆかむか
  
 遠き人となりて音なき幾人を思ひつらねて夜をうつつなき
  
 醒めぎはの夢にひびきてするどきは海よりもどる五位鷺の声
  
 ほてりもつ足裏(あうら)に踏めばこころよし二上山の草におく露
  
 女嶽より男嶽に至る曲(たわ)のうへあへぎしづめてわが歩みゐつ
  
 朝霧のふかき檜山になきかはす慈悲心鳥の声徹るなり
  
 朝霧にぬるる芝生をよぎりゆく乳(ち)のゆたかさのゆらげる女
  
 鉄幹の恋の歌一首思ひいでて旅の夕べの心なぎくる
  
 抱拙庵にて。