気まぐれ何でも館:(561)美しく愛しき日本(岡野弘彦)(16)
ひたすらに児らの名をよぶ母のこゑ。焼け原の闇に いつまでもひびく
ほむらよりかすかに逃れ 側溝を走る鼠も 憎くあらなくに
花むらの焼けちぢれゆく桜木の梢を見つつ 涙ながるる
幹焦げし桜木の下 つぎつぎに 友のむくろをならべゆきたり
昨夜(よべ)の桜 花さきみちてありし道。友のむくろを負ひて わが行く
焼け原のはてに かすかに浮かびゐし、幽鬼のごとき 富士を忘れず
まだ熱き土に照りくる陽のいろを 疼く眼(まなこ)に見つめゐにけり
咲き満つる桜の並木 吹きなびけ魔風ふく夜を 耐へとほしたり
人ほろび 花ほろびゆく 空襲の阿鼻の地獄を 生き残りたり
さくら花 いつまで厭ふ こころなるらむ
あはれよと わが頑を さとしたまへり
葛城の水越し峠こえゆけり。西行のつひの桜 見むため
青ざめて ひとり机に伏してゐる友は 二日を もの喰はぬといふ
学校の書棚の奥に見いでたる マルクス論を ひとり読みつぐ
(足立註:上記の歌は歌人の若き頃の東京大空襲のことなどを詠っている)
13.10.5 抱拙庵にて。