「東洋の魔女」主将、中村昌枝さん死去
2013年10月3日(木)13時37分配信 読売新聞
1964年の東京五輪バレーボール女子で金メダルを獲得するなど、「東洋の魔女」と呼ばれた全日本女子バレーボールチームの主将を務めた中村昌枝(なかむら・まさえ)=旧姓・河西(かさい)=さんが3日、死去した。
80歳だった。
山梨県出身。同県立巨摩高卒業後、日紡(現ユニチカ)に入社。全日本女子チームの主将として、62年の世界選手権、64年東京五輪優勝の快挙を成し遂げた。65年1月に日紡を退社し、同年5月に佐藤栄作首相の仲立ちで結婚して中村姓に。引退後もバレーの普及・指導に携わり、2003年に日本バレーボール協会女子強化副委員長に就任し、04年アテネ五輪では全日本女子チームの団長を務めた。08年に世界バレーボール殿堂入りを果たした。
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私は会社はユニチカで、貝塚工場にも用事で行ったことがあります。
2013年10月3日(木)13時37分配信 読売新聞
1964年の東京五輪バレーボール女子で金メダルを獲得するなど、「東洋の魔女」と呼ばれた全日本女子バレーボールチームの主将を務めた中村昌枝(なかむら・まさえ)=旧姓・河西(かさい)=さんが3日、死去した。
80歳だった。
山梨県出身。同県立巨摩高卒業後、日紡(現ユニチカ)に入社。全日本女子チームの主将として、62年の世界選手権、64年東京五輪優勝の快挙を成し遂げた。65年1月に日紡を退社し、同年5月に佐藤栄作首相の仲立ちで結婚して中村姓に。引退後もバレーの普及・指導に携わり、2003年に日本バレーボール協会女子強化副委員長に就任し、04年アテネ五輪では全日本女子チームの団長を務めた。08年に世界バレーボール殿堂入りを果たした。
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私は会社はユニチカで、貝塚工場にも用事で行ったことがあります。