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 田坂広志 「風の便り」 特選  第109便    
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 人工知能の気づき



 昔、米国のシンクタンクで働いていたときのことです。

 その研究所に「人工知能」の研究をしていた同僚がいました。
 ある日、「Artificial Intelligence」との表札が掲げてある
 彼の部屋に入ると、壁に小さな紙が貼ってあり、
 不思議な言葉が書いてありました。

  「Artificial Stupidity」

 日本語にすれば「人工的な愚かさ」、もしくは
 「人工無能」とでも訳すべき言葉が書いてあったのです。

 いつも深い思索を感じさせる彼のこと、
 それは単なる冗談ではないと感じながら、
 その言葉を掲げてある理由を聞くと、
 彼は、静かに、こう答えたのです。


  人工知能研究が、本当に目指しているのは、
  実は、このことなのだよ・・・


 そのときの彼の深い眼差しが、その言葉とともに、
 心に残っています。

 そして、あれから何年もの歳月を重ね、
 いま、その言葉が真実であることを、感じます。


  もし、人工知能というものが、
  本当にその知性を深めていくならば、

  いつか、自らの限界に気がつき、
  自らの愚かさに、気がつく。

  そして、その愚かさも含めて、
  自分がこの世界に存在していることの
  素晴らしさに、気がつく。


 そう感じるのです。



 2003年6月9日
 田坂広志

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私の解釈はちょっとだけ違います。

 人工知能研究が、本当に目指しているのは、
  実は、このことなのだよ・・・

人工知能研究はあくまでも普通の意味の賢さを人工的に生み出すことを追求していると思います。

ただ人工知能研究者が目指しているものは、良寛のいう大愚で、賢さで解決出来ない人間独特の、人工物では得ることのできないものを知ることにあると言っているように思うのですが。

それを人工的に生み出すというのには言葉の矛盾がありますね。人工的に追求できる賢さと、追求できない賢さの違いを知るのが人工知能の研究の目指すものとでもいいますか。

近頃チェスより難解と思われた将棋はプロ級に、さらには囲碁ソフトも相当強くなってきています。息子が負け惜しみでなく、囲碁の世界を狭く感じたのは、私が27歳で会社に入って、コンピュータに夢中になって、やがてその世界の狭さに気付いて、最終的には脱サラして数学研究に戻ったことを思い出しました。