オバマ政権は防衛誓約を果たすのか~日米同盟ウオッチ三十余年の末の疑念 ワシントン・古森義久

2013-08-14 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉



「国際激流と日本」 米国の曖昧な態度にふつふつと湧いてくる疑念 尖閣防衛の意思を明言しない米国に頼っていていいのか
JBpress2013.08.14(水)古森 義久
 米国のオバマ政権は日本の尖閣諸島を本当に防衛するのか。
 この疑問がますます深まってしまう。
 その疑問はオバマ政権の日米同盟に対する基本的な態度への懐疑にもつながっている。
 中国は8月に入って、尖閣海域の日本の領海への侵犯をますます強めてきた。このままだと尖閣諸島の日本の主権はおろか施政権までが崩れかねない。外国の艦艇が無断でいつでも侵入してくる海域の施政権を主張することは、このままでは至難となりそうなのだ。
 だが日本の年来の同盟国、米国のオバマ政権は、尖閣の有事に日本を防衛するという方針を決して言明しない。日米安保条約の適用対象になるという婉曲な表現に留まるのみである。
*日本の国家安全保障には日米同盟堅持がベストの方策

 オバマ政権のすっきりしない態度の背景には、国際的リーダーシップの発揮や同盟諸国との価値観の共有、そして安定や抑止の基礎となる軍事力そのものを忌避するというオバマ大統領の傾向が明らかに影を広げている。
 アラブ世界での米国の後退や対テロ闘争での弱腰を見ると、年来の2国間同盟を堅持するという米国の基本姿勢にさえも懐疑を覚えさせられるのである。
 私はオバマ政権に対するこの種の懐疑や疑問をまとめて、『いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ』(幻冬舎新書)という本を上梓した。本のタイトルこそ、ややセンセーショナルではあるが、オバマ政権の対日防衛誓約の履行に様々な不信を覚えさせられる理由を多角的に説明した。
 私がジャーナリストとして、あるいは、ときには研究者として、日米両国間の安全保障関係を考察するようになって、もう30年以上となる。その間、私自身は、日本の安全保障にとって日米同盟の堅持こそが最も現実的で賢明な選択肢だと判断してきた。
 周知のように、日本との同盟関係を保ち、日本が第三国からの軍事力での攻撃や威嚇を受けた場合、米国が日本への実際の軍事支援を明確にするという米国の政策は、長年、超党派のコンセンサスに支えられてきた。東西冷戦中に日本へのソ連の軍事脅威が現実だった時代も、米国は核抑止も含めて、日本の防衛を誓い、いざという際にはその責務を実行する意思と能力をも明示してきた。
 ソ連共産主義体制が崩壊した後も、米国は中国や北朝鮮の軍事脅威に対し、日本への軍事支援を、核拡大抑止をも含めて明確にしてきた。有事には、実際にその支援を履行するという意気込みが感じられた。だから日本の国家安全保障には、米国の軍事力を取り込んだ日米同盟堅持こそがベストの方策だと私自身も考えてきた。この基本はいまも変わらない。
*互いにメリットを享受してきた日米同盟

 ところがオバマ政権は、どうもその安全保障政策の基本が米国の歴代政権とは異なるのである。
 日本を守るために中国と戦争をする覚悟までがあるのか。覚悟があってこそ中国の侵略を事前に抑止できると言えよう。だがいま米国にその覚悟があるかというと、どうしても疑問を呈さざるを得ない。特に2期目に入ってから、オバマ政権の姿勢には「同盟国を守る」という断固さが欠けるようになってきた。
 この変化はたとえ微妙にしても、日本にとっては致命的な重みを持つ。日本は戦後の長い年月、一貫して、自国の防衛を米国の力に委ねてきたからだ。
 日本は憲法9条で自国には軍事力を禁じ(憲法上、自衛隊は軍事力とは異なる)、自国の防衛にさえも自縄自縛の制約をいろいろ課してきた。軍事力をちらつかせる他国の威嚇にはただ屈服するだけ、という消極平和主義のメカニズムを選んだのが戦後の日本なのだ。
 ただし、それでは自国は守れず、自国民の生命も安全も守れない。その大きな空洞を米国の軍事力に頼ってきた。その取り決めが日米安保条約であり、日米同盟だった。
 こうした米国全面依存は日本にとっての利点も多々あった。また、米国にとっても、日本から依存されることが米国の利益や政策に合致した。アジアへの関与や駐留を保つ限り、日本と同盟を結び、日本国内の基地を米軍が自由に使えるという取り決めは便利だった。ただしその大前提には、日本が第三国から攻撃された場合、米国人が血を流してでも戦うという覚悟を同盟上の誓約として掲げていた。
 しかし、米国歴代政権のこうした対日同盟政策が、2期目を迎えたオバマ政権では揺らいできたように見える。希薄になったとも言えようか。明確な防衛誓約が曖昧になってしまったようなのだ。
*尖閣防衛の意思を明言しない米国

 尖閣諸島を巡る日本と中国の対立に対するオバマ政権の態度が、その曖昧さの実例である。
 オバマ政権の高官たちは、ジョン・ケリー国務長官でもチャック・ヘーゲル国防長官でも、「尖閣諸島は日米安保条約の適用の範囲内にある」と繰り返す。この言明を普通に解釈すれば、日本の施政権下にある領域への外部からの武力攻撃に対しては米国も日本と共同で対処の行動を取るという日米安保条約の第5条の適用を指すことになる。「共同の対処」が実際の軍事支援を意味する、というわけだ。日本政府の公式の解釈もこの路線である。
 だが、オバマ政権の当局者たちは、中国の尖閣への軍事威圧の行動や日本領海への侵入がいくら激しくなってきても、「有事には尖閣を防衛する」という具体的な言葉は決して口にしない。有事の尖閣防衛の意思を明言しないのである。「米軍も尖閣を防衛する」という言明は皆無なのだ。
 ヘーゲル国防長官やケリー国務長官は、尖閣について「現状を変えようとする行動や、いかなる力による一方的な行為にも反対」という言葉は語る。「尖閣の主権や施政権を巡る問題は平和的、外交的、国際法に沿った方法で」とも強調する。そしてオバマ政権はなによりも、尖閣諸島の領有権については「立場を取らない」とする。つまりは中立である。
 施政権についても、日本と中国がともに自制をして、平和的な手段で、という中立の趣旨を繰り返す。しかし、米国が尖閣諸島の施政権に対してまで中立や曖昧な態度を取ることは、米国自身の過去の行動にも、日米同盟の規定にも反することになる。
 そもそも尖閣の施政権は、米国が1972年に沖縄とともに日本に公式に返還したのである。そしてその施政権が日本側にあることをオバマ政権を含めて歴代の米国政権が無条件で認めてきたのだ。
 ところが、いまやその施政権を軍事力で脅かす中国の行動を、オバマ政権はまったく批判しない。中国は軍艦や戦闘機を動員して、尖閣周辺の日本の領海や領空に頻繁に侵入してくる。オバマ政権が反対する「力による一方的な行為」が、連日、米軍の目前で展開されているのだ。だがオバマ政権は中国のその非を指摘しない。中国の国名さえ挙げず、単に、日中両国を並列に並べて、「ともに抑制を」と呼びかけるだけなのである。

*日中両国を同等に扱う米国は同盟国なのか?
 オバマ政権に近い民主党支持の日本研究者シーラ・スミス氏は尖閣問題について、いまの日中対立の原因は2012年9月の日本側の尖閣国有化だとして、日中両方のナショナリズムが対立をあおるという趣旨の論文をこのほど発表した。
 しかし現実には今回の対立の原因は、2010年9月の中国漁船の日本領海侵犯と日本側の海上保安庁巡視船への体当たりである。さらにその背景には中国政府が1992年の「領海法」で尖閣の領有権を一方的に宣言した経緯がある。
 「日中両方のナショナリズム」などと軽く述べるが、そもそも日本側の扇情的なナショナリズムの現象がどこにあるというのか。日本の企業や商店を破壊する、中国政府公認の大規模な暴力的なナショナリズムは、日本では皆無なのである。それなのに日中両国を同等に扱うのだから、同盟国としての米国は一体どこへ消えたのかと問いたくなる。
 以前、本コラム(「『米軍は尖閣を守るな』という本音」2013年4月10日)で、これまたオバマ政権に近い米側の中国海洋戦略の専門家、マイケル・マクデビット元提督が、「尖閣にたとえ中国からの軍事攻撃があっても、米国は尖閣防衛のためには中国軍との戦闘に入るべきではない」と衝撃的な証言をしたことを伝えた。
 オバマ政権が日米同盟の防衛誓約を完全に果たすのかどうかについては、さらに多数の例証が大きな疑問を提起している。私はそれらの事例を自書『いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ』の中で詳述した。前述のように日米同盟ウオッチ三十余年の末に初めて米国側の防衛誓約への基本的な疑問を覚えるに至ったことを、日本のできるだけの多くの人たちに提起して、論議を求めたいと願う次第である。
 ことは日本の国家と国民の安全保障なのだ。その重要性はいくら繰り返しても十分ではないだろう。
 *上記事の著作権は[JBpress]に帰属します

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多分、米国にとって日本も中国も同レベルの国になったんでしょう。だから日本と中国がもめても、まあ仲良くしてね、という態度をとると思いますね。ということは、沖縄米軍基地の意味は変わってくるでしょうね。戦闘能力の向上から米軍は前からガム島移転を考え、日本がまあ待ってとぶら下がっているらしいのですが。だから福島さんや鳩ポッポの言うことも一理あったんですけどね。