「楽に解雇したい!」 規制緩和待望論の裏で早まる企業の死期

企業の寿命を左右するカギは長期雇用 河合 薫  

 解雇規制緩和――。ここ数日間、毎日のように新聞やら雑誌やらネットやらに踊る、堅苦しい6文字の漢字。

 きっかけは、政府の産業競争力会議の分科会で、「解雇が認められる場合の合理性を法律で明確にできないか。カネをきちんと払うことで解雇しやすくしてはどうか」といった意見が出されたこと。

 安倍晋三首相は3月28日の衆院予算委員会で、解雇時に金銭解決を含めた対応が可能になる法の整備を求める意見が政府の産業競争力会議で相次いだことに関し、「解雇を自由化しようとは全く考えていない」と述べた。

 だが、産業競争力会議の有識者議員のメンバーである大企業のトップや日本経済団体連合会の偉い方たち、民間議員の竹中平蔵・慶応義塾大学教授は、「解雇規制は緩和すべき」と強く訴えている。ここ数年、くすぶっていた議論が表舞台に出た以上、今後の成り行き次第で解雇規制が緩和される可能性は十分にある。


解雇規制緩和を求める人々の裏に透ける“本音”


 「解雇をしやすくして、雇用の流動化を目指す。衰退する産業から、成長する産業に人材が移動すれば経済は活性化する。市場経済には公正競争のルールが不可欠」。これが推進派の主張だ。

 だが、その裏には
・日本の正社員は恵まれすぎ
・一度雇用されれば、どんなにパフォーマンスが悪くとも一生安泰
と、ものすごく乱暴に言えば、「正社員よ、甘えるな!」といった、使えない中高年に対する怒りが見え隠れする。

 経営側に近い感覚の人、働かない中高年社員に嫌悪感を抱いている人たちほど、「解雇規制を緩和して、何が悪いんだ」と賛成する傾向が強いようにも思う。

 「でも、ホントに解雇規制の緩和を望んでいるのって、企業だけなんでしょうか? 現実問題として、リストラは当たり前のように行われているので、解雇規制が緩和された方が救われる人って結構いると思うんです」

 こう語るのは長年、人事部でリストラをする側にいた40代の男性である。

 そこで、今回は「解雇規制の緩和」を、少しばかり別の角度から考えてみようと思う。

 「私は15年前に人事部に配属になり、その頃から、うちの会社では整理解雇が行われるようになりました。その後も、幾度となく行われています。つまり、私は15年間、ずっと社員を切る側にいる人間なんです」

 「リストラの規模は、その時々で異なる。数人の時もあれば、大規模なこともある。大規模にやる時には早期退職を募りますが、小規模の時には閑職に追いやり、辞めるように仕向けます。最初はかなり抵抗がありました。でも、従業員数が多いので本人と面識のないケースの方が多いし、人事って会社の経営状態も分かるので、だんだんと抵抗感が薄れていきました」

 「でも、数年前に自分が以前いた部署の同僚を切ることになった。彼がターゲットになった時は、小規模なものだったので異動を通告しました。それはリストラ対象になったことを意味するものでした。でも、彼に限ったことではないのですが、異動になったからといって辞める人はいません。すると本人に、“辞めます”と言わせるように、ジワジワと追い込むんです」

 「解雇規制にひっかからないためには、かなり陰湿なやり方をする。『辞めます』と相手に言わせたいのだから、相手の人格を否定するようなことだって平気でやる。彼の場合もそうでした。そして、彼が日に日にストレスを感じ、精神状態が不安定になっていくのを目の当たりにしました。見ているだけできつかった。私も正直まいりました。やられている本人は比べものにならないくらいしんどいのに、何とも勝手です」

 「結局、彼は辞めました。罪悪感に苛まれました。切る側の人間の言うべきことではないと思うのですが、その時から、辞めるように精神的に追い込むくらいなら、いっそのこと『解雇です』とバッサリやった方がいいんじゃないかと思うようになったんです。それに実質的にはリストラでも、形式としては自己都合退職ですから失業保険は、3カ月以降からとなる。解雇ならすぐに受給できますからそっちの方がいいようにも思います」

 「会社側は社員が『解雇にしてくれ』と言っても、受け付けません。本人には“再就職する時のためだ”と説明しますが、それは都合のいい言い訳です。解雇にすると会社のイメージが悪くなる。しかも、正当な解雇理由が必要となる。でもね、正当な理由なんてないんです。こんな言い方は語弊がありますが、運みたいなところもありますから。必ずしも個人のパフォーマンスの問題とは言い切れないんですよ」

40代の人事マンの話で見方が変わった

 彼の話を聞くまでは、「解雇規制の緩和なんてとんでもない」と思っていたのだが、「確かにそういう見方もあるかもしれない」と目から鱗が落ちた。

 追い出し部屋というイヤな名称で呼ばれる部署があるように、現場ではイジメとも言えるような卑劣な退職強要が行われているとも聞く。私がこれまでインビューさせていただいた方の中にも、追い詰められた末、泣く泣く辞めた方、心身を壊した後に職場復帰した途端「ヒマでいいなぁ」などと毎日言われ、退職した方などもいた。

 毎日、陰湿なやり方で心理的プレッシャーをかけられ、身も心もズタズタにされるくらいなら、彼の言う通り、「解雇です」と言われた方が、まだ、マシかもしれないと思うようになった。


解雇された時のショックは大きいかもしれないけど、最も心身を損なうのは、日々の積み重ねからくる慢性的なストレス。特に、心理的プレッシャーは、心に大きな傷を残す。

 日々罵倒され、ジワジワと追い詰められれば、「何て自分はダメな人間なんだ」と自尊心が低下し、ネガティブな感情がますます増幅し、心身を疲弊させる。どんどんと自信は喪失し、不安に苛まれ、立ち直ることが難しくなる。

 中には、気持ちが萎える前に身体が悲鳴を上げ、とんでもない事態に陥る人だっているだろう。身も心もズタズタにされれば、再就職先を探す気力はおろか、生きる力を失う可能性だってある。

 だったら、いっそのこと「解雇だ」と言われた方がマシだ。衝撃は計り知れないかもしれないけれど、追い詰められるよりマシ。

 「解雇」と言われれば、「なぜですか?」と正面から聞けるだろうし、「解雇するならカネをくれ」と交渉する気力だって持てるかもしれない。

 それに解雇は1人の社員の人生に大きな影響を与える重大なこと。企業側だって、「あの会社は、人を簡単に解雇する会社だ」とレッテルを張られ、その結果、何が起きるのかを経験すればいい。

 彼の話を聞いているうちに、こんな思いにとらわれたのだ。

リストラに反対する私の姿勢に変わりはないが…

 「ってことは、解雇規制賛成派?」

 いやいや、そういうわけではない。どうか早とちりしないでほしい。

 これまでにも何度も本コラムで書いてきた通り、「企業存続のためには仕方がない」とリストラを容認する意見にも、「パフォーマンスが悪いのだから、切られて当然」という考え方にも、カネで解決するという考え方にも大反対であることに、何ら変わりはない。

 ただし、いつの間にか「リストラ」が市民権を得て、解雇規制があることで余計に自己都合という名目で、陰湿なリストラ劇が横行する会社が後を絶たないのであれば、解雇規制緩和をした方が、よほどマシ。

 そう。マシ、なだけ。ただそれだけだ。

 そもそも現実にはリストラを行っているにもかかわらず、経営者たちが解雇規制の緩和を訴えるのは、なぜなんだ? リストラをする、そのプロセスを踏むことさえ面倒くさいとでも言うのだろうか?

 あるいは、早期退職でたくさんおカネを払いたくない、もっと安く解雇できないか? とでも考えているのだろうか?

 解雇規制の緩和を訴える前に、もっともっとやることがありはしないか?
 採用のやり方を工夫したか? 
 その後の教育方法に問題はなかったか? 
 社内のキャリアパスや、賃金体系を根本的に見直す作業はしたのか?

 こう問いたい気持ちもある。

経済の活性化だの、雇用の流動化だの、正当な競争社会だの、経済学や経営学の難しい理屈をあれこれ並べはするけれど、見つめているのは目先の数字=カネ。それだけじゃないのだろうか。

 「雇ってみたけど、使えない。だから『辞めてくれ』と簡単に言えるようにしてくれよ」

 私には、そう言っているようにしか聞こえないのである。

 「65歳まで雇用義務化」との整合性もちっとも分からないし、何よりも一体いつから、長期雇用のマイナスの部分ばかりが指摘されるようになってしまったのだろうか。

 日本の企業の強さは、長期雇用にあったとされたのは、幻想?

 いやいや、そんなことはないはずだ。

 だって、かつての欧米の多くの研究者が、「日本の企業の強さの秘密は、長く社員を雇い続けることにあった」と分析し、“日本らしさ”を参考に長期雇用に踏み切った欧米の企業は2000年前後から増えている。

 特に欧州では、従業員は働きやすい職場で長期間働きたいという要望が強いとされ、その価値観を共有して、持続可能な人が一生懸命に働ける職場を作ろうとする企業が多い。

100年を超える長寿命企業に共通する特徴

 石油メジャーの英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルでマネジャーを務め、同社での調査研究に基づいて1世紀以上にわたって存続している長寿企業に共通する特徴を分析した『The Living Company』(邦訳版は『企業生命力』、日経BP社)を著したアーリー・デ・グース氏は、「経営学のカリキュラムに『人間』が入ってくる余地はないが、実際の職場は人間であふれている」と述べ、「企業は機械ではなく生命である」と訴えた。

 そして、生命力の強い企業の謎を解くために、創業100~700年という企業27社について調査。フォーチュン500企業の平均寿命は40年から50年にすぎない一方で、ヨーロッパや日本では200年以上存続している企業がある。その謎を解こうとした。その中には、当時の三井や住友、大丸といった日本の会社も含まれていた。

 調査の結果、数百年続く長寿の企業には次のような特徴があった。

(1)環境に敏感である
(2)強い結束力と独自性がある
(3)寛大である(権力の分散化)
(4)資金調達で保守的である

 さらに、これらを様々な角度から考察し、「利益追求のみに走ると、企業の寿命は短くなる」と結論づけた。

 デ・グース氏はまた、「企業は生命」であるが故の警鐘もならしている。

 長寿型の企業(リビングカンパニー)であったとしても、利益追求型の企業(エコノミックカンパニー)に方針を転換した途端、数年で命脈が尽きる。それはまるで健康だった人が目先の快楽と娯楽に興じるあまり病気になり、「体質が変わるようだ」と指摘している。

 デ・グース氏と同様の調査は、米国のコンサルタントであるドン・コーエン氏やローレンス・プルサック氏も行っていて、デ・グース氏の「強い結束力」を特に重要視し、彼らはそれを企業の「ソーシャル・キャピタル」と呼んだ。

 ソーシャル・キャピタルは、いわば、企業に内在する“目に見えない力”で、信頼関係で成り立つ社員同士のつながりである。この概念は、人と人のつながりに対する投資がリターンを生み出すことを強調するために、「キャピタル=資本」という言葉を用いている。

 そして、この「信頼」を構築するには、長く雇い続ける努力が求められ、ソーシャ・キャピタルこそが企業の強さにつながるとしたのである。

 人と人との強い結束力、人と人との信頼関係。企業と従業員の結びつき、企業と従業員の信頼関係。これらに必要とされるのが、長期雇用。長期にわたる勤続が信頼を築き上げる。競争社会になれば、デキル社員ほど会社を捨てる。信頼を育む長期雇用を実現するには何をすればいいのか? それは、企業が存続していくうえで最大の課題とまで言われている。

 人間というのは、相手との関係性の中で行動を決める厄介な動物だ。「自分を信頼してくれている」と感じる相手には信頼に値する行動を示そうとするし、「自分を大切にしてくれている」と感じる相手には精一杯の誠意を示そうとする。「自分を長く雇い続ける努力をしてくれる」会社には、長く雇われ続けるための努力をし、会社が存続するために誠意を示す。

 長く雇われることで培われる信頼関係―。

 その大切な、「長く雇い続ける」努力を放棄し、あたかも長期雇用が諸悪の根源のごとく捉えているのが、今の日本企業だ。

今の経営者は会社を長生きさせようと考えていない?

 人を使い捨てにしている企業に、どうやって責任感を持てというのか? 良質な人材はどこかに落ちているんじゃなくて、企業が良質な人材に育てるんじゃないのか?

 「雇ってみたけど、使いものにならないからいらない」と陰湿なリストラを横行させ、もっと簡単に解雇させろ! とする企業に、「信頼」は生まれない。

 今、日本人が批判的に考えている日本的経営が企業の成長と存続に必要なものとされている事実を、「解雇規制を緩和しろ!」と訴える人たちは、どう考えているのだろうか。

 ひょっとするとどこの経営者も、企業を長生きさせようとは、はなから考えていないんじゃないかと思ったりもする。

 少しばかり意地悪な言い方かもしれないが、「長期雇用=悪」という刀ばかりを振りかざす人は、自分がトップにいる数年間勝てればいい。その後に命が尽きてもオレには関係ない。それはその時のトップの責任。そう思っているのだろう。だとしたら、長期雇用も信頼も必要ないか。

 オーナー企業でない限り、トップの在職期間は平均5~6年、長くても10年程度。一方、社員は60歳まで働いたとしても、就職してから40年近くある。10年もその職に就いていないトップのご都合主義に、働く人たちは本気で賛同しているのだろうか?

 グローバル化の広まりとともに、いろんなものの時間のモノサシが短くなった。でも、人間の力が発揮されるのは時間がかかるものが山ほどある。企業にいるのは、命ある人間だ。解雇規制の緩和を議論する前に、人材を獲得し、人材を育てるための教育に時間を費やし(=投資)、その人材を確保し続ける努力をした方がいい。だって、それが企業が健康であり続けるための土台となるのだから。

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私は竹中平蔵は国賊と思うものです。製造業の派遣の規制緩和、で、ついに正社員解雇の規制緩和の主張。日本は人本主義だったし、それで大体うまくいっていたのですが、このすさまじい弱肉強食の企業環境で確かについていけない人は出るでしょうね。そういう人はどんどん切っていく。行き着く先はアメリカのように極端な格差社会と思います。竹中平蔵は完全にお金の亡者になっています。活性化と言っても皆が明るく楽しくなるのではありません。お金の亡者の活性化です。何とかならないかなぁ~。