熊森と兵庫県立大の横山真弓准教授の一派がバカな議論をしている。曰く熊は減っている/増えている、というの。後者は統計的手法とコンピュータを使ってドーダと言っている。

熊の数は何頭と決まっている。増えているか減っているか、変わっていないかのどちらかである。当たり前の話しだが。

何故そういうバカな議論になるかというと、熊森は本来熊の棲んでいるところをこつこつ調べて減っているという。そりゃ本来棲んでいるはずの処が拡大造林政策の失敗で棲めなくなっているので熊口密度はそのあたりは減っている。

この本を読むと本来棲むところに棲めなくなって人里周辺の熊口密度があがって当然であるが、熊は人里周辺で色々人間に関わるものを知って害獣化するそうだ。これは熊に責任は全く無く、人間全体(人里に住んでいる人と言うより)の責任である。人里の人は害獣化した熊は殺して欲しいし、行政も人命重視の観点から増えている->殺せ、と言うデータを大学に頼んで出して貰うことになる。大学の出しているデーターは研究費の関係もあるだろうし、もともと熊と共生しようという気など頭から無いから、適当にパラメータをいじって行政の都合のよいデータを出す。あまりにも露骨すぎて行政が低く修正した程だ。

私は最終的には奥山・里山が旧来のように復元されて、熊と人とがそこそこ言い関係になるのを望む者である。ただそれは急には出来ないし、害獣化した熊をどうするか・・・戻るところもないし・・・一旦害獣化したものを戻すのは非常に難しいことはこの本を読めば分かる。

で一案だが、大急ぎで熊の棲める聖域(熊森の持っている自然林の提供があってもいいが)、とにかく最初は急ごしらえでもしかたないが、そこへ放獣していく以外にないなと思っている。人里へ下りてこないようにするには電気的バリアーを人里の方に造るということになろうか。

両者ともクルクルパァ~と違いますか?