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田坂広志 「風の便り」 特選 第83便
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「制約」という逆説
ラジオで初めて番組を持ったときのことです。
現在のテレビ全盛の時代において、
ラジオとは、語り手にとって
「不自由なメディア」であると考えていました。
音声と映像を駆使し、語り手の声だけでなく、
表情や眼差し、身振り、手振り、
さらには、姿勢や服装まで使って
自由にメッセージを伝えることのできる
「テレビ」というメディア。
それに比べて、「ラジオ」というメディアは、
語り手にとって、音声だけしか伝えることのできない、
「制約されたメディア」であると思っていました。
しかし、番組を始めて、
不思議なことに気がつきました。
ラジオというメディアは、
どこまでも深く、
メッセージを語ることのできるメディアだったのです。
そして、
心に抱いている思いが、
そのまま聴き手に伝わっていくメディアだったのです。
あたかも、光の無い暗闇において、
音を聴きわける力が研ぎ澄まされるように、
ラジオという「制約されたメディア」は、
その「制約」が、
我々の語る力、そして、聴く力を高めてくれる。
その不思議な逆説に気がついたのです。
そして、その逆説は、
さらに深い真実を教えてくれていることに
気がついたのです。
我々の人生における「制約」もまた、
我々の人間としての「力」を高めてくれる。
2002年10月24日
田坂広志
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私はラジオ深夜便をよく聴くのですが、成る程そうですね。
田坂広志 「風の便り」 特選 第83便
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「制約」という逆説
ラジオで初めて番組を持ったときのことです。
現在のテレビ全盛の時代において、
ラジオとは、語り手にとって
「不自由なメディア」であると考えていました。
音声と映像を駆使し、語り手の声だけでなく、
表情や眼差し、身振り、手振り、
さらには、姿勢や服装まで使って
自由にメッセージを伝えることのできる
「テレビ」というメディア。
それに比べて、「ラジオ」というメディアは、
語り手にとって、音声だけしか伝えることのできない、
「制約されたメディア」であると思っていました。
しかし、番組を始めて、
不思議なことに気がつきました。
ラジオというメディアは、
どこまでも深く、
メッセージを語ることのできるメディアだったのです。
そして、
心に抱いている思いが、
そのまま聴き手に伝わっていくメディアだったのです。
あたかも、光の無い暗闇において、
音を聴きわける力が研ぎ澄まされるように、
ラジオという「制約されたメディア」は、
その「制約」が、
我々の語る力、そして、聴く力を高めてくれる。
その不思議な逆説に気がついたのです。
そして、その逆説は、
さらに深い真実を教えてくれていることに
気がついたのです。
我々の人生における「制約」もまた、
我々の人間としての「力」を高めてくれる。
2002年10月24日
田坂広志
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私はラジオ深夜便をよく聴くのですが、成る程そうですね。