【沖縄が危ない】抹消された米軍の功績… 劇的に改善した衛生事情★(5)

 沖縄の地元紙は、米軍軍人が事件・事故を起こすと大きく報道するが、米軍将兵が県民の命を救ったり、臓器を提供しても一切報道しない。まして、戦後、沖縄発展の基礎を築いた米国の功績は完全に抹消されている。

 1972(昭和47)年5月、沖縄は27年ぶりに日本に復帰した。日本政府が驚いたのは、戦前、「感染症のデパート」の様相を呈していた沖縄の衛生事情が一新されていたことだ。人口も戦前から31万人増えて90万人に達していた。

 戦前の沖縄は亜熱帯の風土もあり、マラリア、結核、ハンセン病、赤痢などの罹患(りかん)率が全国平均の5倍以上を記録していた。人々は感染症になると、医師の診断を受けず、ユタ(巫女)を尋ねて、祈祷にすがった。ユタは「先祖供養が足りない」「石油を飲めば治る」などと、非科学的な発言を繰り返したため、一家が全滅する不幸も発生していた。

 沖縄を45(同20)年から統治した米国は、県民教育の必要性を痛感し、米国式のプライマリ・ケア(=総合的医療)の確立を図った。沖縄振興のために10億ドル以上の国費を投入し、マラリアをはじめ種々の感染症を撲滅した。

 看護学校も46(同21)年に創立し、50(同25)年には、入学基準を高校卒に引き上げた。高度最新医療を学ぶには、日本基準の中学卒では困難と判断した。学校は全寮制で3年間。教育指導は米軍ナースと元日本陸軍看護婦がスパルタ式で行い、卒業までに4500時間の実習が課せられた。

 加えて、米軍は沖縄に極東最大、最先端の陸軍病院を建設した。そこを沖縄看護学校学生の研修の場に提供した。沖縄の看護学生をびっくりさせたのは、米軍ナースが全員将校であり、大男の看護兵をアゴでこき使っていることだった。これは、沖縄の男尊女卑の悪習に風穴を開けた。

 看護学校卒業後、看護婦の資格を付与された女性は現場に赴任するが、米政府は、看護婦資格を1年更新制とした。更新には、最新の看護学、医療機材の取り扱い法を受講した証明書を持参することが前提だった。

 大阪国立病院は57(同32)年から、沖縄の看護学校を卒業した看護婦を毎年2人、1年間研修させた。彼女らが救急外来で患者に応急措置を施し、担当医に引き継ぐ光景に、院内は騒然となったという。現在の特定看護師のシステムを、沖縄では50年以上も早く実施していた。

 日本復帰を3年後に控えた69(同44)年、日本の看護婦資格試験を看護学校の最上級生に受験させたところ、全員が高得点で合格し、日本政府を仰天させた。

 このような看護教育システムも、復帰後は日本式に改められた。つまり、「座学偏重型の教育」と「医師の御用聞き的看護婦育成システム」となった。米国式教育を受けた関係者からは「日本復帰に伴い、沖縄の看護教育は後退した」との批判が続出したという。 (八重山日報論説委員長・惠隆之介)

==========================

こういうことがあったんですね。外国のことをとやかく言えませんね。