京で活動の歌手、被災漁師へ「がんばっ節」
被災漁師の応援歌「がんばっ節」を歌う奥野さんと最前列で聞く熊谷さん(昨年9月1日、岩手県大船渡市) 京都を拠点に活動し、東日本大震災の被災地で慰問ライブを続ける歌手奥野ひかるさん=大阪府高槻市=が、岩手県の仮設住宅で出会った漁師の生きざまを歌詞にした応援歌「がんばっ節(ぷし)」を作った。津波で家や漁船を失いながらも漁業を再開した男性の決意を、力強く歌っている。
京野菜をPRする曲を歌うなど主に京都で活動する奧野さんは震災後、岩手県の仮設住宅を訪れ、歌で被災者を励ましている。昨年2月に大船渡市でライブをした際、漁師の熊谷仁兵衛さん(77)から「俺たちが前を向く姿を歌で伝えて」と声を掛けられた。
ワカメ養殖を営む熊谷さんは、津波で家や養殖施設などを流された。仮設住宅で生活しながら中古の船の寄贈を受け、昨冬に仲間と共同で養殖業を再開した。「かわいそうな東北のイメージは嫌なんだ」「命があれば、また海に出られる。100歳まで現役の漁師を続けたい」と話す熊谷さんに、奥野さんは逆に励まされる気持ちになったという。
関西に戻り、歌詞を書いた。「東北育ち/荒波くぐり/自然の恵みに命をゆだね」「見えない敵は己の心/親父(おやじ)譲りの血が騒ぐ/男は海だ」とつづり、サビでは東北の方言で「みんな一緒に頑張ろう」の意味の「がんばっぺし」を繰り返す。テンポ良く明るい曲調に仕上げた。
9月に熊谷さんの仮設住宅を再訪し、歌を披露した。最前列で聞いた熊谷さんは、満足そうに「いいね。紅白(歌合戦)さ行ける」と笑った、という。
奥野さんはこれまでに約50カ所で慰問ライブをしてきた。がんばっ節を歌う時は、熊谷さんとのエピソードを紹介する。歌を聞いて「被災して漁師をやめたけど、もう一度やりたくなった」と言った高齢男性もいた、という。奥野さんは「復興して『がんばっぺし』と言わなくてもいい日が来るまで、歌い続けたい」と話している。
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元気の出る歌は貴重ですね。熊谷さん、健康にお気をつけて。
がんばっべし!!!
被災漁師の応援歌「がんばっ節」を歌う奥野さんと最前列で聞く熊谷さん(昨年9月1日、岩手県大船渡市) 京都を拠点に活動し、東日本大震災の被災地で慰問ライブを続ける歌手奥野ひかるさん=大阪府高槻市=が、岩手県の仮設住宅で出会った漁師の生きざまを歌詞にした応援歌「がんばっ節(ぷし)」を作った。津波で家や漁船を失いながらも漁業を再開した男性の決意を、力強く歌っている。
京野菜をPRする曲を歌うなど主に京都で活動する奧野さんは震災後、岩手県の仮設住宅を訪れ、歌で被災者を励ましている。昨年2月に大船渡市でライブをした際、漁師の熊谷仁兵衛さん(77)から「俺たちが前を向く姿を歌で伝えて」と声を掛けられた。
ワカメ養殖を営む熊谷さんは、津波で家や養殖施設などを流された。仮設住宅で生活しながら中古の船の寄贈を受け、昨冬に仲間と共同で養殖業を再開した。「かわいそうな東北のイメージは嫌なんだ」「命があれば、また海に出られる。100歳まで現役の漁師を続けたい」と話す熊谷さんに、奥野さんは逆に励まされる気持ちになったという。
関西に戻り、歌詞を書いた。「東北育ち/荒波くぐり/自然の恵みに命をゆだね」「見えない敵は己の心/親父(おやじ)譲りの血が騒ぐ/男は海だ」とつづり、サビでは東北の方言で「みんな一緒に頑張ろう」の意味の「がんばっぺし」を繰り返す。テンポ良く明るい曲調に仕上げた。
9月に熊谷さんの仮設住宅を再訪し、歌を披露した。最前列で聞いた熊谷さんは、満足そうに「いいね。紅白(歌合戦)さ行ける」と笑った、という。
奥野さんはこれまでに約50カ所で慰問ライブをしてきた。がんばっ節を歌う時は、熊谷さんとのエピソードを紹介する。歌を聞いて「被災して漁師をやめたけど、もう一度やりたくなった」と言った高齢男性もいた、という。奥野さんは「復興して『がんばっぺし』と言わなくてもいい日が来るまで、歌い続けたい」と話している。
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元気の出る歌は貴重ですね。熊谷さん、健康にお気をつけて。
がんばっべし!!!