既に原発事故の影響で、出産の現場でいろんな異常が起こっているそうですが、隠蔽されていると聞いています。

国を信じれるかどうか人それぞれですが、私は守るべき人たちのために最善を尽くしていきたいです。

今日ユーリンメイトさん(尿健康法をやっている人)がこんな情報を送ってくださいました。

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戦後広島で産婆さんしていた方が祖母の隣に住んでいまして、

奇形児が出る度に、首を折り死産だった事にして、毛布に包んで帰った話しを、僕は小さな頃から何度も聞いています。

広島の原爆投下10年後にピークを迎えたとの事。


私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。

41歳でした。

その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。

何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。

一番多かったのは兎唇でございました。それも口蓋裂もあって、泣くと喉の奥まで見えるんです。お乳も飲めないような...それから肢指過剰ですね。

多指です。それから鎖肛(正常な位置に肛門がなく、直腸が盲端になっており、5千人に1人の確率で発病する)。

肛門のないのも多うございました。兎唇や多指は数が多うございました。
分娩で頭の先がでましたら、今度も兎唇じゃないかしらと思ったら、やはりそうで、そのたんびに憂いたことを覚えています。
あーどうしてこんなに兎唇が生まれるんかしらと思いました。

すぐ近所でございましたが、二軒に同じように耳のない子が生まれました。
その1人の赤ちゃんのおばあさんは、産婦人科の看護部長をしておられました。

奇形が生まれたということで、すぐに病院に電話をされたれしいですが、先生が来られたあくる朝、赤ちゃんは逝きましたからね。

もう一軒は可愛い女の子でございましたが、おばあちゃんは「火葬場に持って行くまでは、泣きだしはしませんから。」と言っておられました。これは薬を使ったんだなと私は思いました。もちろん、家族は何も言いませんし、私も聞きもしませんでした。

元気な子でしたがね。そのおばあちゃんは生涯悩まれたそうです。

可愛い子だったですからね。髪の毛でね、こうやって耳を隠していれば判りはしませんのにね。耳がないんです。ツルッとしておりました、片方だけ。

それから、内蔵露出で、グルグルと腸が出ておりまして、思い出してもひどいヘルニアだったんですね。大学病院で手術をしてもらい、それはどうにか助かりました。

まだそれから、鎖肛、これはたくさんありました。
それから無脳症ですね。終戦直後ではないから、2~3年後だと思います。
母親は30代でした。どうしても頭の位置がわかりませんのよ。上の方にあるのは確かに臀部だがと思いましても、頭部に触れませんのよ。
おかしいなと、みよりましたら、無脳症でございました。
氷を氷袋の中にいれて下げたらザラザラしますように、頭蓋骨がぜんぜん固まっていない子でした。

だからそんな子が生まれたら、極秘にしてもらいたくてね。こんな事は当時はとても言われませんでした。


広島医療生協原爆被害者の会発行「被爆体験記・ピカに灼かれて」13集より引用