気まぐれ何でも館:(502) 岡野弘彦(海のまほろば)(10)
  
 夜をい寝てあたたまりなき老いの身にひと夜みぞれの音ひびくらし
  
 髪ながく言葉をさなきをとめ居てわがかなしみの日々を清くす
  
 夢の中に子の手を引きて歩みくるいまだ若くて貧しかりし妻
  
 胸の底に油のごとくよどみくる壮年(さだ)すぎて人を恋ほしむ思ひ
  
 ひと年を遠くこがれて過ごしたる大和は恋ほし行きがたきかも
  
 茫々とさすらふこころ洋(わた)なかに伊豆の七つの島かすみ見ゆ
  
 清かりし人おほよそは死にはててむなしと思ふ世を生きむとす
  
 まぼろしに夜ごと顕ちくる女ゐて白みしわれの髪をいとしむ
  
 初瀬路の春の恋ほしさ現し身に逢ふすべもなき人歩みゆく
  
 夜ふけて厨にものを煮むとする。妻(つま)子に離(さか)る身の安けさに
  
 抗(あらが)ひて家出でゆきし長男の悲しみの眼のよみがへる夜ぞ
  
 龍の絵をほしとおもへり天駈くる龍の心をわがものとせむ
  
12.8.6 抱拙庵にて。