フェルマーの最終定理、サイモン・シン、青木薫訳、新潮文庫、2006,(11.11.27~30)
  
最近電車の中で読む本はイルミナティーの陰謀関係が多く、ちょっと食傷気味だったので、これを読んでみました。やっぱし数学関係は生臭さが無いわけではないのですが、読む勢いに影響しますな。以前「解決!フェルマーの最終定理」加藤和也を読んだはずなのですが、さっぱり記憶に残っていません。読む時期尚早だったのかも、ということで書庫から出してきてそのうちに読み返そうと思っています。
  
頭書の本はふつうの人にも面白く読めるように、フェルマー予想を解いたワイルズの生い立ちから解決するまで(1995)を軸にして、随分幅広く歴史的、科学的バックグラウンドが書かれています。講義中に何回も話しのネタに使わしてもらいました。サイエンスライターも半端ではなくなりました。面白くてためになる(気がする)んですね。私は若い頃は少しは読みましたが小説はほとんど読まないのです。じゃぁ~何を読んでいるかというと、半分以上はノンフィクションもので、あとは文学的なものの小説以外というところでしょうか。私は研究問題をいっぱい持っていて、それらのコンステレーション(配置)を頭に置きながらストーリーを電車の中で頭が疲れていない時に色々考えるのを楽しみにしている人間です。頭の疲れている時は本を読むか居眠りです。どうもよだれをたらして寝ている場合が多いみたいです。服によだれがついていますから。小説は普通ストーリーがありますから、人が考えた架空のストーリーなど邪魔になる場合が多いです。しかしこういう科学もののストーリーは参考になりますね。なるほどなぁ~と感心して講義中に味付けしてしゃべったり、自分のものにしたりしてしまいます。私はパクリの名人?なんですわ。
  
数学の話しになりますが、キーになったのは志村ー谷山予想を解くことと、フェルマー予想を解くことが同値であるということ(フライの注意、1984、それのリベットによる証明、1990)なんですが、志村ー谷山予想(楕円方程式とモジュラー形式の密接な関係に関するもの)とフェルマー予想を比較すると、どっちもどっちで難しく思えたのが当時の数学者の常識的状況だったようです。まあ、常識なんてええ加減なものですが。結局、志村ー谷山予想を解いて、帰納的に解くわけです。フェルマー予想はn>2の自然数全てについて証明しなければいけませんからね。それが大体のストーリーで、大体いけたと思った時にケンブリッジで解けたと発表(1993)します。それから論文が印刷されるまでに2年ほどかかっているのですが、この時がワイルズの一番大変な時だったのではないでしょうか。致命的なギャップが証明にあることが査読者(レフェリー)に指摘されたからです。200頁の証明を6つの部分に分けて、6人のレフェリーが分担したそうです。結局その部分は優秀なお弟子さんのテイラーと共同作業で解かれるのですが、テイラーという人は救いの神としか思えません。ワイルズがあくまでも一人でやっていたら、精神的なストレスで多分解決は出来なかったと私は思いますね。テイラーはフェルマー予想の証明に必要な志村ー谷山予想を解いただけでなく、後に完全に解いています。
  
今、加藤和也さんの本をパラパラみていると、ゼータの話しが混じっているので早く読もうと思っています。
  
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