気まぐれ何でも館:(455) 高安国世秀歌鑑賞(3)
  
 よごれたる窓のガラスに折をりは訪れの如く来てとまる雪
  
雪は天からの手紙と雪の結晶の研究をしていた中谷宇吉郎は言っていたと思うが、あっという間にとけて消え去っていく雪を見つめている作者の思いはどんなものであったろう。
  
 かりうど蜂が誤たず獲物の神経を刺す迄に幾百世代たちにしやあらむ
  
ファーブルの昆虫記に狩人蜂の話しがあったように記憶する。人間から見ると不思議なように思える巧緻な技を身に付けるまでには、気の遠くなるような長い時間が経過しているのであろうか。
  
 さびしさも優しさも早や知るならむ一人作りし子の花ばたけ
  
ここにいう子は耳の不自由な醇君である。大人のもつ感情である「さびしさ」「やさしさ」を幼い我が子が早や持っているという感懐がある。
  
 夕ひかりふたたび淡く差しながら梢梢の雪つもりゆく
  
 冬なれば毛深くなりしわが犬と外套を着し我と歩めり
  
 オーボエの低き音に似て夜の来なばたのしきことも我を待たむか
  
 生命(いのち)持つものはやさしと指(さ)して言ふけぶる如くに冬木の梢
  
ここで指して言ったのは妻であることは、一連の歌を読むとわかる。
  
11.9.4 抱拙庵にて。
  

http://homepage3.nifty.com/kyousei/essay.html