昭和天皇のお人柄については類書を何冊か読んでいて知っていたのであるが、知らなかったのはハルノートに関することである。

巷間では、昭和16年11月27日にとうてい受け入れることの出来ないハルノートを受け取って、東条内閣が開戦を決めたことになっていて、私もそうかと思っていた。

ところが、それ以前の4月にハル国務長官は野村吉三郎大使との話し合いで日米諒解案という日本が受け入れられる案を出しており、急いで話し合いをすべきところ、内閣の中で松岡外務大臣一人が独伊との三国同盟を大事にして積極的に話し合いをせず、6月に独ソ戦争が始まり、日本はソ連と戦うべき、などと言いだし、結局松岡は7月に交代するが、その後の外務大臣もアメリカとの交渉に重点を置かなかったということである。

やっぱり本は色々読まんといけませんな。