あとがきから
- 風の歌は、奈良の地に遊びて歌へる歌~妻と子を歌へる歌が、大体「神のまにまにー姫路学院レビュー第16号(1993)」を元にしており、それ以後詠んだ170首位の歌を付け加えたものである。
会津八一は43歳位の時に、「南京新唱」を上梓したが、ほとんど注目されなかった。わずかに斎藤茂吉と、当時無名で病床にあった吉野秀雄を除いて。そして61歳位に「自註鹿鳴集」を、総かな分かち書きとし、自註を加えることによって、ようやく人口に膾炙するようになったことは、周知のことであろう。
そこで、総かな分かち書きにしてもなお読みにくいことは否めないので、漢字を多く入れ、その代わりに読みにくいもの、読み方がいくつもあるものは、大体ルビをふった。いっそ漢字まじり総ルビにしようかとも思ったが、大体中学生でも読める程度を想定して、その方法はとらなかった。また旧かな遣いを採用しているが、何故かわからないが私の歌は、それが似合うと思えるからである。俵万智の歌は、新かな遣いがやっぱりふさわしいのであるが。無論簡単な自註を加えている。
歌の内容は様々であるが、ある種の宗教的情操に貫かれている。それは雲の詩とともに、前著「共生への道ーその解決のロゴス」の第一章(共生の神学)を補完するものだと思っている。
詩は短歌より3,4年先に作り始めたように思う。何か心が動かされたとき、(私は周期的に神懸かり的になる。)書きたくなってさらさらと書いたものを作成順にならべて、おこがましくも雲の詩とした。風の歌を補完するものも含まれる。
風の歌より
- すめろぎの 御陵をさして 巻向の 山をくだりぬ みかんはみつつ
メイデーの マイクもれくる しづもりに もだしてたてる だいぼさつたち
たこくびと 鹿にやりつつ せんべいの はしをかじりて 味をたしかむ
飛火野に ねそべり足組む 若者ら カセットながす 「それぞれの秋」
石焼きいも 焼けるおみなの 昔さび カメラを向ける よそぐにをみな
グールドの ゴールドベルク やさしもよ 遠きシュールの くにより流る
聴衆は こぞりてうたふ アンコールに 主は来ませり 主は来ませりと
ふるきよの ミサ曲ひびく 清らかに わがたまのをの けがれかなしく
異教徒の 救ひ主来たれと オルガンは やさしくひびく 涙さそひて
みづからを メシアと恃みし ナザレびと もしや狂ふと 思はざりしか
恋人の 遠ざかりゆく 焦像に 夜半に聴く 古き恋歌
氏神の 祭りたのしも いまのよは だんじりひけり めのわらはべも
万葉の ひたぶるをとめは いまのよに をのこいだけり バイクにのりて
みほとけは みちにまろびて あめあられ としへてとまる あきあかねかな
いにしへゆ はたらくをみな かなしみて をのこいだけり よきこゆめみて
肩寄せて つまと我がきく オラトリオ よろこびあふれ なみだかれよと
そのときの 来るはいつぞと うたふれば 「すでに」と答ふ アルトはつよく
わがつまと 清しこの夜 合唱す 神の救ひの あまねくあれと
狂ほしく わが愛すれば つまもまた かたをかみけり こころすなほに
美しき ナースに抱かれる 吾子の顔 初めてみれば 顔をそむけり
春陽あび テラスにすわりて 吾子と我 猫の背なでる ものおもひもなく
金髪の 西洋をみなも 背をかがめ タマゴッチする バス待ちながら
国々を 法華の行者 めぐるらし 心の鉦を うちならしつつ
原稿を 書きつつ辞書を ひもときて バベルの塔の 真実を知る
我は今 ますぐなる道 立てむとし その道を今 通らむとする
そらにみつ 大和の国の まほろばに 春立つらしも ひばりなくなり
おほいなる 石くみあはす 石舞台 みたびめぐりぬ なにすともなく
まれびとは 苦しき旅を 旅しけむ 我は遊びて 愛しむものを
「沈黙」を 書かしめし踏み絵 ちんまりと 人の脂の あともかなしく
コスモスの みだれさきたる 野の道を 明日香の風に ふかれつつゆく
雲の詩より
- 「糸のこと」
「この世は」
「こままわし 」