★ 02.6.29 世の終わりに至る無限等比級数
  
 私は人類の半分は端的に言えば善人であり(根性真っ直ぐ)、半分は悪人(根性曲がり)であるという人類二等分説という仮説を「共生への道」で述べている。マタイ伝24章14節に、福音が全世界に宣べ伝えられてから(もうそれは既に終わっているはずである。)最後が来るとし、収穫の時になるまで良い麦も、悪い麦も、育つままにしておき、毒麦は収穫の時になったら集めて束にして焼かれるように、世の終わりにもその通りになる(マタイ伝24章、24~30,36~43節)としている。そこで焼かれる毒麦が、育つままになった麦の半分であるという直感的数学的根拠?を与えておこう。

 私が人類二等分説を立てているということは、実は私は秘かに人を善人と悪人に分類している人間なのであるということである。その人が善人か悪人か閻魔帳を秘かにつけて楽しんでいるのである。そういうことはやっちゃいけないことになっているのであるが、私はタブー破りの性癖がある。数学においてもタブーとされている問題の方に目がいく。宗教的には、語源を探ることや審判をすることなどはタブーとされているが、どうもやりたくなってしまう。人を善人悪人に分類することは一種の審判みたいなことなのね。ところでなぜ二等分されるかということは、大体経験的にそうなるとしか言いようがなかったのであるが、最近簡単な無限等比級数で説明されることがわかり、自分の審判が後で結構間違っていることに気付くことも説明でき、我ながら納得している。結論を先にいえば初項1/3,公比1/3の無限等比級数なのであるが、(その和は高校程度の数学で1/2ということがわかる。)どういうことか説明しよう。

 人間ははっきり善人とわかる人(あつい人)1/3と、はっきり悪人とわかる人(つめたい人)1/3がいる。残りの1/3はぬるい人であり、その時点ではなんとなくはっきりしない、割り切れない感が残ったり、完全に騙されたりして、結局善悪どっちかに分類する。しかし次の時期が来て分類し直すと、以前のぬるい人の中に誤判断もあったことがわかる。そのぬるい人たちも、その時期にははっきり善人とわかる人1/3と、はっきり悪人とわかる1/3と、残りのぬるい人1/3に分かれる。しかし、やっぱりその時期には善悪半々に思えて、なんとなくすっきりしないながらも二等分する。今までこれの繰り返し。すなわち本当に悪い人は

   1/3 + 1/3×3 + 1/3×3×3 + ・・・ = 1/2.

この1/3という数字はヨハネ黙示録9章18節を見ると、「この三つの災害、すなわち、彼らの口から出てくる火と煙と硫黄とによって、人間の三分の一は殺されてしまった。」というところに根拠を見出そうとすればできないこともない。神は各個人の信仰や行為、修行や努力とは関係無しにあらかじめある人々を救いに、ある人々を永遠の呪いに定めているという考え方がキリスト教にある。(予定説)それが丁度半々というのは、いかにも美しい仮説である。人は大体霊の系統によって類別され、輪廻転生してもどうも善悪に変化が生じそうもないし、人口が70億人いても、無限級数といっても、もう大体決着はついていると思うのだが、私が担当する学生は大体キャラの問題のない者が多いのは、毒麦がそうとはっきりわかったものから順に、すでに焼かれているのかもしれない。

 ナザレ人イエスは、エッセネ派に属していたといわれる。エッセネ派はユダヤ教各派の中で唯一輪廻転生を信じている派であったという。ところでイエスはおよそ30歳位から活動を始め、実際に活動した期間は約2年ということらしい。青年時代から30歳位までの事跡は文献的には全くわかっていない。インドの方へ旅行して仏教を学んだともいわれる。釈迦は死後どうなるか、というような類の質問には基本的に答えないことにしていたが(そういうことを質問する人に返事をしても、その人の修行に役に立たないので)、バラモン教以来、インド人の基本的考え方である輪廻転生の考え方は、体得していたというか、色々な現象の原因を過去世においてどういう過ちを犯したからか、といったことを全てお見通しだったようである。霊界も自由に行き来するという神通力も持ち合わせていたようである。

 エッセネ派のイエスがそのような仏教を学んだとしたら、輪廻転生を確信したはずである。事実初期の新約聖書には、そういう考え方が入り混じっていたらしいが、何度でも生まれ変わるということは修行のやり直しが何度でもきくということになり、信徒に悪い影響を及ぼすと考えた人たちによって、畏れ多くも削除されたらしい。人間が輪廻転生しないで、霊が一旦天国にプールされていて、世の終わりに復活するという考え方は、どうも私の経験、実感に照らしてみて無理があるように思える。近頃よく言われている退行催眠(催眠術で子どもの頃に退行させて、幼児期のトラウマを心理療法家が見つける方法がよくなされていたが、あるとき間違ってその人の前世に退行させてしまい、色々前世のことを語るなどしたことがきかけになって一般化した。現世の精神障害も幼児期のトラウマだけでなく、前世までさかのぼってトラウマを見つけると、本人が癒されるケースが多いという。前世でやり残した精神的な課題をこの世で解決するという使命感を自覚するということが良い影響を与えるらしい。)は、人が輪廻転生するという状況証拠になるだろう。

 大川隆法が、イエス・キリストの霊を降霊させて、輪廻転生のことをもっとはっきりと言うとくべきであったと反省の弁を述べさせているが、当たっているような、当たっていないような・・・。

 私の考えている結論を言うと、人は輪廻転生する。更に人は初めから善人と悪人(神の救いにあずかる人と、そうでない人)に真半分に分かれており、何度輪廻転生しても、そのことは変わらない。たとえ途中で悪の道にそれても、いつか反省して輪廻転生しながら向上の道を進んでいく者、どうしても自分に甘く、何でも人のせいにして心から反省することのできない者に二等分されると考える。従って、神を素直に信じ、向上に励む人は地獄界や畜生界に落ちる心配をする必要はないし、何度でも修行がきくから今のうちは適当にやっておこうという人は、ほっとけばよい人であって、そんな人のことまで考えなくてもよいのである。どうも仏教にしろ、キリスト教にしろ、宗教家といわれる専門家が、自分の都合の良いように操作したり、善良な人を脅しているとしか思えない。何が真実であるかをあっちゃに置いといて、自分の都合、保身のためにものを言う人はどこの世界にでもいるのであるが、宗教家がそれをやると、その天罰はすごいものらしい。くわばら、くわばら。