★03.4.30 山崎弁栄について
  
 山崎弁栄(べんねい、1859~1920)は浄土系の自力的な傾向の強い念仏者で、光明主義を主唱した天才仏教者であるが、普通の仏教大事典とか、百科事典とか、人名事典には出ていない。インターネットで調べると「真生同盟」という光明主義の流れを汲む一派のHPの中にあらましが出ている。

 千葉県に熱心な念仏者である父母のもとに生まれた。すごい修行をして、20歳台で基本的な思想を形成している。超能力がそなわり、米粒やゴマ粒に南無阿弥陀仏や般若心経、歌などを書いたことや、シラミや蚊なども殺さないよう注意していたことなどは有名である。法話を聞きに来た人のおみやげに、米粒を握って一粒一粒ひょいひょいと細字を書いていたということである。(現在でもそういう米粒は残っていて、時々展示会があるらしく、私の母方の祖父が感心していた。彼は浄土真宗大谷派(東本願寺系)のエライ坊さんであった。)

 弁栄は光明主義はすべての宗教にまさるものとし、阿弥陀仏を唯一の大御親(オオミオヤ)とし、諸仏の一仏としての阿弥陀仏ではなく、諸仏の根本仏であり、いわば宇宙の大生命であるととらえる。このオオミオヤの知恵と慈悲の光明のなかで生きていくことが光明生活で、そのために念仏三昧がすすめられ、三昧発得(三昧にひたることによって真理を体得すること)が求められた。光明主義がまだ萌芽的な組織の段階にあったときに、弁栄は61歳の生涯を閉じる。最後の言葉は「如来はいつもましますけれども衆生は知らない。それを知らせにきたのが弁栄である。」というものである。

 ところで弁栄の著書はいくつか持っているが、彼には体系的に完璧に述べようという指向があるらしい。まぁすべての宗教にまさる等と言うと、きばらざるを得ないのでしょうかね。そういうものは概して面白くないのであるが、彼の著作も私には面白くない。ところが彼のことを書いた「日本の光(弁栄上人伝)」は面白い。この本は現在は非売品というか、光明主義の人にのみ頒布しているのではないかと思う。

 私がどうやってそれを手に入れたかというと、神田の東陽堂(仏教関係専門の古書店)に入って在庫を尋ねると、品のいい店主がさっと指さした一箇所に弁栄関係の本が数冊並んでおり、その中にあったのである。店主によると、岡潔(1901~78, 世界の数学者が独創的と認める数学者。人生奥の別院に「ゆかいすぎる数学者」として登場している。)の随筆集を卒業した人が、時々弁栄の本を探しに来るらしい。(図星!?)

 岡潔は死なばもろともと言っていた戦時中の人が、戦後食糧などの取り合いをするのを見て、生きるに生きられず死ぬに死ねない気持ちになって光明主義に入ったという。宗教はある、ないの問題ではなく、いる、いらないの問題だと思うとも書いている。最近出版された「天上の歌─岡潔の生涯」帯金充利、新泉社、では1946年6月、光明主義の世界に入ったとある。終戦直後、岡は、戦争中を生き抜くためには理性だけで十分だったが、戦後を生き抜くためにはどうしても宗教が必要だ、というせっぱつまった状況に追い込まれていたそうで、そんな岡に「光明主義」を勧めたのは奥さんの姉であった。そして弁栄の教えを学ぶうちに光明主義に帰依するようになったらしい。(私など理性だけで生き抜くなんてとてもできない意気地なしで、近頃ようやく自分の中の宗教も空気みたなものになってきたのだが。)

 ところで東陽堂で手に入れた「日本の光」であるが、周南文庫と蔵書印があり、赤線など書き込みが随所にあり、昭和三七年八月一九日読了とある。岡潔の最初の随筆「春宵十話」が本になったのが、昭和三八年二月十日で、それより以前に毎日新聞に連載していて、そこに光明主義のことがでているので、それを見てこの本を買ったのではないか。いずれにしてもその人はインテリで、丁寧に読んでいるが一回読んだだけだと思う。

 その本は昭和十一年七月二十一日発行となっており、箱入り、クロス綴じのかなりしっかりした製本がされているが、とにかくボロボロなのである。多分最初の購入者が熱心な信者で、繰り返し繰り返し読んでボロボロにしたと思われる。私はさーっと読んで、あーそういうことか、でおしまいなのだが世の中にはエライ人もいるもんだと思う。岡潔の高弟で光明主義に帰依している藤田収氏にその話をすると、にこにこしながら「その本は値打ちがあるんじゃぁないですか」と言っておられた。お宝鑑定団にでも出そうかしらん。