★04.4.13 なぜキリスト教は日本に根づかなかったか(出典:山折哲雄「宗教の力」PHP新書)
  
この問題は長い間、私には分からなかった問題だ。お隣の韓国人の大半が韓国的キリスト教に帰依しているのにである。日本人のキリスト教徒はあらゆる宗派をあわせても1%程度である。これは文明国では例外的で、カソリックなども理由が分からないらしく、かなりのミッション費用を投入していたと聞く。

 山折はこの問題について3つの観点から考える。

①政治・社会システムの圧力。ザビエルによって伝えられたキリスト教は16C半ば~17C初めに十万人のキリシタンが出現したという。当時の人口は三千万人以下であろうから、短期間にかなりの勢いで浸透したといえる。しかしやがてキリシタン禁制の時代となり、宗門改めに続き寺壇関係が確立するに及んで、キリスト教伝播の息の根は止められた。そして仏教は神道との習合化を進め、江戸時代には死者は仏式によって葬られ、寺壇関係のもとに国民宗教化していった。


 神道は集団としての地域社会に密着して発展した。つまり地域社会に住む人々の共通の氏神であり祖先神であった。この関係は近代以後の日本社会においても基本的に変化することがなく、キリスト教はその勢力を伸ばせなかった。

②日本人の山岳信仰(山は死者の魂が昇る霊地であり、天上の神が天降る聖地であり、それ自体が神体山として崇拝の対象とされる異界であった。)に対し仏教は西方十万億土にある浄土を山中浄土観によってすりかえた。また古代の日本人は死後の霊魂の行方に関心はあったが、遺骸や遺骨には注意を向けなかった。ところが10~11世紀の時期に、浄土教の影響で、天皇・貴族の遺骨を寺院に祀ることが始められ、その遺骨の一部を高野山に納めるという習慣が一般にも広がっていった。このことによって、仏教は土着化していった。ところが明治以降のキリスト教は、そういうことの重要性を認識することはなかった。

③日本の宗教の根幹である祖先崇拝に対し、仏教は受け入れて土着化し、キリスト教は日本人におけるそれの重要性を見誤り、土着化に失敗した。

 以上①②③の理由によってキリスト教は日本に根付かなかったが、今後も多分そうであろう。各宗派が、信者を増やそうとするのは使命みたいなものかもしれないが、もうここらでそういう考えは捨てて、各宗派がどうやったら世界的規模で共生していくことができるか、お互いに自分の信じる神が唯一絶対という考えは心の片隅においておいて、互いに学びあう必要があるのではないか。もう宗派分布図は飽和状態なんだし、国際問題の原因に宗派が共生できてないことが多くあるのであるから。世界の宗教が共生して皆で環境問題に取り組めたらどんなに素晴らしいことであろう。