★04.4.8 現代日本人の宗教心(出典:山折哲雄「宗教の力」PHP新書)
  
①日本人は元々無自覚的ではあるが、素晴らしい宗教心を持っていた。それは日本人の自然観と深く結びついている。

 西ヨーロッパには地震、台風が無く、洪水も少なく自然は安定している。従って西ヨーロッパの人は、自然を客観的に観察してその変化を予測したり分析し、自然を開発することができた。それが自然征服の思想を生んだ。これはキリスト教の「人間は地球の管理を神から任されている」という考えより一歩(悪い方向へ?)踏み出した考えである。

 それに反し、日本は地震、台風がよく起こり、洪水が多く自然は不安定である。自然が一度暴れ出すと、どうすることも出来ない。自然に比べると、人間は小さな存在でしかない。だからこそ常日頃から自然の脅威に対処し(植林・治水など)畏敬の念というか、天然自然の無常観を持っていた。おそらく縄文時代からずっと自然の中に神の声を聞き、自然の中に神が宿っていると感じてきた。大自然を神とする人が今でも多いのはそういう理由である。神道には教義といったものは基本的に無いが、それも上記の神意識に基づいている。

②仏教の伝来で、日本人の心に深い影響を与えたのが人生の無常観であり、日本人の天然自然の無常観とぴったり重なった。

 宗教をつきつめると、祈りというものに帰するが、日本人の宗教心は天然自然とその中に生かされている人生の無常観に基づく悲しみをともなう祈りである。一般のフツーの日本人の心の底に横たわっているのは、ゆるやかで穏やかな、おっとりとした宗教心で、宗派とか教義とか修行とか、そういうものにあまり重きを置かないものである。

③ところで日本人は自分の信じる宗教は何か、と外国人に聞かれると、無宗教と言ったりするのは何故だろうか。日本人の伝統的な宗教心が上のような独特のものであることに加えて、明治以降に取り入れた西洋文明と切っても切れないキリスト教的な考え方──1つの宗教を主体的に選び取るという「あれかこれか」の二者択一的な一神教的な信仰のあり方──が宗教であると考えるようになり、伝統的に仏と大自然なる神を「あれもこれも」という対し方で同時に信仰している日本人は、そういう意味では一神教的に尋ねられると、無宗教と言うしかないということである。なにせ、七・五・三は神社で、結婚式は教会で、葬式は仏式でやったりするのであるから。

④それと、現代日本人の中には宗教嫌いのお墓好き、信仰嫌いの遺骨好き、心の修練嫌いの霊おろし好きという、宗教の世俗化にともなう似非宗教心を持つ人と、30~40歳代の人の本当の無神論層が目立つようになってきた。

 それは歴史的背景がある。まず織田信長が(イ)比叡山を焼き討ちにして伝統的なエリート的宗教の権威を地上に引きずりおろし、ほとんど息の根を止めた、(ロ)一向一揆の民衆の宗教的エネルギーを一つ一つ潰していって、最後に石山本願寺に結集した一揆勢力を陥落に追い込んだ、ということをやり、日本の社会は宗教的権威を認めない世俗社会になった。続いて徳川時代に今日まで続いている檀家制度が出来て、世俗化は決定的になった。

 無神論層は、宗教については学校では通り一遍のことしか教わらなかったから分からない、という戦後教育の結果に基づく。それと阪神大震災で高く評価されたのは宗教者ではなく、現場で汗を流していたボランティアであり、カウンセラーや精神科医達であった。心の救済を使命とするはずの宗教者は、その領域では為すすべがなかったことを考えると、宗教者にも通り一遍の宗教心しかなく、単なる宗派経営者に成り下がっていたことが暴露されたということもあるのであろう。

⑤私の人類二等分説から言うと、善人は宗派にこだわらない日本的宗教心を持っているか、そういうものをベースにしながらも何らかの機縁で一宗派を選択しているか、宗教臭は全くないが宗教の究極の目的である利他行を黙々とやっているかである。悪人は宗教嫌いのお墓好き、信仰嫌いの遺骨好き、心の修練嫌いの霊おろしや占い好きか、宗教的情操に欠ける無神論者なのであろう。