★02.9.21 「一休について」 (出典:「日本怪僧奇僧事典」祖田浩一、東京堂出版)
一休(1394~1481)は「とんちの一休さん」というかわいらしいイメージを持っている人が多いかもしれないが、臨済宗系の風狂に生きた禅者である。当時は戒律が厳しかったが、酒を飲み、肉を食らい、遊里に出入りする。そういう禁じられたことをこそこそやる僧侶はいたであろうが、彼は堂々とやり漢詩などに詠んでいる。非難の声が耳に入っても一休はいっこうに改めようともせず、破戒僧に徹した。
正月を詠んだ有名な歌として
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
というのがあるのは知っている人も多いであろう。
こういう話もある。一休が木津川辺りを歩いていると、女人が裸になって川で体を洗っているのが目にはいった。一休は足をとめてしばらく眺めていたが、ごく自然に女の陰門にむかって三度礼拝した。その心は
女をば法のみ蔵(くら)というぞ実(げ)に釈迦も達磨もひょいひょいと生む
ということだそうである。
一休は七十七歳位になってから、盲目の森(しん)女と愛欲生活を送る。愛欲という言葉はあるいは不適切かもしれないが。森は色白の美人で、四十歳位であった。森のことを幾つもの漢詩に詠んでいる。「一休狂雲集」二橋進編訳、徳間書店、から少し紹介しておこう。漢字がむずかしいので訳のみでご勘弁願いたい。
森美人の午睡を看る
楊貴妃の美になぞらえて森女をみる。
艶歌をうたう声もよく曲は新たである。
そして、そのときのえくぼが愛らしい。
森女は一代の美人だ。
我が手を喚(よ)んで森手と作(な)す
わが手をよんで森女はそえ、
森女の手はわれにそえる。
森女の風流は、玉茎の萌(きざし)をみせる。
われはこれを喜ぶ。
美人の陰に水仙花の香あり
夢がさめたとき、
横たわっている白くゆたかな女体をみて、
さらに挑む。
梅樹のもとにほころんでいる水仙の花。
腰間(ようかん)にまといついて、
軽くゆらぐ。
婬水(いんすい)
夢うつつのうちに上苑の美人の森に迷いこんだ。
枕上の梅の花はかぐわしい香りをはなっている。
婬水を口にふくめば清らかな香りがする。
故人も月色のなかでこの香りをかいたであろうか。
美人の婬水を吸う
ひそかに言ってみずから慙(は)じるささやき。
情交終わって末世までの契りを約束する。
そこにこそ生身を畜生道に堕して
末世までも人びとを救おうとする
い山の情をたたえることができよう。
い山とは、い山霊祐という中国唐代の禅の高僧である。い山の「い」は漢字変換できなかった。