★11.6.16 「日本を不幸にした藤原一族の正体」関裕二、 (PHP文庫)を読んで。
わが足立家は藤原氏の中でも最も悪名高い北家の出らしい。祖父は藤原氏であることを誇りにしていたきらいがある。御維新の時は村岡にある山名藩の城代家老の若様であったが、若くして小学校の校長さんになって、その後神戸の祇園神社の神主をしていた。
何を思ったか、もうこんな時代ではないと、家系図を焼いたのであるが、神道を勉強するうちに、藤原氏の家系であることが嫌になったのかもしれない。
失われたユダヤ10支族の系統の物部氏とユダヤ系原始キリスト教系の秦氏、そのもっと前からのやっぱり失われた10支族の豪族たちが、蘇我氏の進める律令国家(豪族が土地を占有するのでなく、一旦天皇家に土地を返し、国民に土地を貸して、租税を取るという、ユダヤ的な制度)に協力するところになっていたが、中臣(藤原)鎌足の策謀によって、一応表向きは律令国家になったが、最終的には日本中の土地は荘園として藤原氏のものになる。
今までの歴史学では古事記、日本書紀に準拠していたが、日本書紀がまあいうと藤原氏のあくどいやり方を正当化したものであったため、完全にゆがめられたまま解釈されている。ただし、意味不明な記述に真実がポロリと出ていたりする。
蘇我氏が物部氏を神仏論争でやっつけたことになっているが、物部氏はどうも仏教を敵視してなかったようでもある。(釈迦族はユダヤ系という説もある)それは物部氏系により伝承されている「先代旧事本紀」には何故か蘇我氏に物部守屋が殺された一件については記載がないのであることからも推察される。
中臣(藤原)鎌足は死者を塩漬けにするという韓国ではよくやる非常に残虐なことをするのであるが、どうも百済の王家の人で、日本人の基層をなす穏やかな失われたユダヤの10氏族の系統ではない韓人だったようだ。気に入らない者、邪魔者は皇族でも容赦をせず策略をもって殺め、もっぱら土地の私物化を徹底したということである。
わが足立家は藤原氏の中でも最も悪名高い北家の出らしい。祖父は藤原氏であることを誇りにしていたきらいがある。御維新の時は村岡にある山名藩の城代家老の若様であったが、若くして小学校の校長さんになって、その後神戸の祇園神社の神主をしていた。
何を思ったか、もうこんな時代ではないと、家系図を焼いたのであるが、神道を勉強するうちに、藤原氏の家系であることが嫌になったのかもしれない。
失われたユダヤ10支族の系統の物部氏とユダヤ系原始キリスト教系の秦氏、そのもっと前からのやっぱり失われた10支族の豪族たちが、蘇我氏の進める律令国家(豪族が土地を占有するのでなく、一旦天皇家に土地を返し、国民に土地を貸して、租税を取るという、ユダヤ的な制度)に協力するところになっていたが、中臣(藤原)鎌足の策謀によって、一応表向きは律令国家になったが、最終的には日本中の土地は荘園として藤原氏のものになる。
今までの歴史学では古事記、日本書紀に準拠していたが、日本書紀がまあいうと藤原氏のあくどいやり方を正当化したものであったため、完全にゆがめられたまま解釈されている。ただし、意味不明な記述に真実がポロリと出ていたりする。
蘇我氏が物部氏を神仏論争でやっつけたことになっているが、物部氏はどうも仏教を敵視してなかったようでもある。(釈迦族はユダヤ系という説もある)それは物部氏系により伝承されている「先代旧事本紀」には何故か蘇我氏に物部守屋が殺された一件については記載がないのであることからも推察される。
中臣(藤原)鎌足は死者を塩漬けにするという韓国ではよくやる非常に残虐なことをするのであるが、どうも百済の王家の人で、日本人の基層をなす穏やかな失われたユダヤの10氏族の系統ではない韓人だったようだ。気に入らない者、邪魔者は皇族でも容赦をせず策略をもって殺め、もっぱら土地の私物化を徹底したということである。