最近、Bernstein指揮NYPの12枚組のマーラー全集とブーレーズ指揮のマーラーの交響曲第1、2、
5、6、9番のCDそしてKaran指揮BPOのDVDを買った。どれも評価が高い演奏である。これまでは、
テンシュミットやメータのアルバムを聴いていたが、今回、全くアプローチの異なる演奏を聴いて
新たなマーラー像を描くようになった。初めてマーラーを聴いた時の映画音楽の様な壮大な楽曲と
神秘さに魅了されたが、反面、表題は何なのか、この部分で何を訴えようとしているのか・・・という

ことが気になってしょうがなくなってしまう。というのも、マーラーの楽譜には演奏に関する指示が
具体的に書かれている場合が多い。「きわめて反抗的に・・」とか「死に絶えるように・・」などの表現
である。これがどの様な背景と意図を持って書かれているのかを演奏者や聴く側は共有できない。
深く興味を抱く筈だし、諸説も色々とあろうが、本当のところは良く判らないらしい。
皆さんが考える「マーラー像」とはどんなものだろう。恐らく気難しい人だと誰もが思うだろう。私が
マーラーの交響曲を聴く限り、彼は終始迷っているように思う。典型的なソナタ形式かと思えば、
全く奇想的な構成を提示してくるし、声楽パートが付記されている交響曲も数多い。声楽部分は
バイオリンのソロやフルート、オーボエに置き換えれば、普通の交響曲になる気もする。交響曲
第8番は2楽章(二部構成)しかなく、演奏時間は第二部 (英語ではPart IIと記載されている)だけ
で約一時間もあり、これだけで単独の交響曲として成り立つ程である。1つの楽章にしても、その中
で色々な展開を見せるが、頻繁に曲調が変る場面も少なくない。専門的にはこれを「徘徊性調性」
というらしい。また、断片的楽章の連鎖というか、主題の違なる小楽曲が複数繋げられ一つの楽章

に詰め込まれたような構成も散見される。音の強弱の変化も激しい。素人判断で申し訳ないが、
なぜこの旋律の直後に調の異なった全く別の旋律が出てくる必然性はあるのか?単にコラージュ
的な発想なのか?・・・不思議な部分は多々ある。それ故に、表題や意図のことがどうしても気に
なってしまうのだ。交響曲第1番「巨人」が書かれたのは28歳の時である。この曲も旋律の切り
替わりも多く、何時楽曲が終わっても良さそうな部分が多々ある。最初聞いた時はくどいなあ~と、
思ったものである。一方、交響曲第2番「復活」が完成したのは36歳とブランクがあり、同年に
交響曲第3番も完成されている。月日が経っているだけあって、完成度が高まっている事は聴けば
一聴(目)瞭然だ。かなり濃厚になっている。38歳でウィーン・フィルハーモニーの指揮者になる。
38歳といえば私が管理職になり、最初の海外駐在を開始した歳だ。まあ、マーラーとは重さに
雲泥の差があるが、節目の歳であった事は共通みたいだ。
