皆さんは、オーケストラの演奏会をTV等でご覧になった事はないだろうか。その時、指揮者の指揮棒
 
のタイミングが奏者の音出しとタイミングが合っていないのでないか?と思われた方も多いのでは
 
ないかと思う。事実、この現象はまま見受けられることである。事前の練習時のイメージの共有が
 
演奏の流れを決めているので、正直、本番の指揮は演出、パフォーマンスに近い場合も少なくない。
 
それを理解した上で、有名指揮者の指揮法の違いを見てみたい。
 
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■Leonard Bernstein
総じて肩全体をゆすることが多い(喩えが悪いが、晩年の挙動はややピグモンに近い)。曲の流れに
 
身を任せたというか、思い入れで指揮している感じだ。これをまともに受けての演奏はまず、ありえ
 
ないだろう。このブログを書く為にDVDを見てきたが、高揚してくると拳を作ったり、腕を振り旋回させ
 
たりする。両手で指揮棒を持ってのエンディングもある(侍じゃなんだけどなあ・・・)。時にノリノリで
 
指揮台の上でスキップしたり踊りだす。何でも有りである。弟子の佐渡裕には「指揮者は警察官じゃ
 
ないんだから、細かく指示するのではなく、感情を伝えるとこを大切にしろ」と指導していたようだ。
 
その意味では佐渡裕はそれを忠実に継承しているように思われる。オケの音量を絞る時に口の前に
 
指を立てて「しーっ」とやったり、ウインクしたり、可愛い面も多く憎めなさがある。一方、相棒だった
 
NYフィルだが、正直なところ演奏会を聴くとミスが多い。最悪な場合、シンバルのタイミングがずれて
 
いる事さえある。Bernsteinが余り細かく指示しないせいなのだろうか?優しく、自由放任しすぎた
 
のか?以心伝心も良いが、緊張感が欠けたミスや演奏は如何ともし難い面があり、どうも残念に
 
思われる。6070年代の頃の引き締まった演奏が個人的には一番好きだ。
 
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■小澤征爾
指揮している時の表情が全体的に少し暗く硬い。真摯な態度で感情注入の真剣勝負なのは判るが
 
正直恐い。指揮自体は若い時と歳を取ってからでは若干差があるが、むしろ病気をする前の熟年期
 
の方が運動量が多いようにも感じられる。ほぼ正統な指揮であり、演奏する側にとっては判り易い
 
部類と思われる。80年頃の演奏を見ていると、感情が入り込んで目を瞑り、放心状態に近い表情と
 
なる事(恍惚と言えば良いのか・・?)があるが、このような場合にややだらしなく見えるのがたまに傷。
 
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■佐渡裕
まず、背が高く大柄なので存在感があり見栄えする。指揮は感情モロ出しの真向勝負。但し、感情が
 
入り過ぎるとやや自己陶酔に陥る。これは、如何なものか・・・。20125月のベルリンフィルの定期
 
演奏会のときも、指揮の途中で泣き出して部分的に指揮出来ていない。それでも受け入れられるの
 
が彼の音楽に対する真摯な情熱と人柄なのだろう。彼の生き方は素敵だ。個人の努力もさること
 
ながら、多くの友人に助けられ幸運を掴んできた。なかば感動的ですらさえある。でも彼は上手く
 
行ったから賞賛されるのであって、苦労しても結局報われなかった音楽家や、才能が有りながら
 
埋もれて行った演奏家の方が明らかに多い。その意味で、佐渡はこの暗い世相を吹き飛ばす
 
救世主に映るのかもしれない。