私の好きな音楽家を挙げると、チャイコフスキー、ワーグナー、マーラーの3巨匠が先ず挙げられる。
 
私が好きな音楽は、一言で言うならば、「叙情的な旋律、深みのある荘厳な響き」であろうと思う。
 
例えば、ワーグナーといえば、非常に私のような凡人には難解でやや陰鬱な音楽もあるが、歌劇
 
音楽家としては稀に見る才能の持ち主だ。私は、ワーグナーの音楽は「緻密で複雑に絡み合った
 
絨毯」のように思う。主旋律以外にも副旋律が存在することも多く、この強弱、見え隠れにより複雑
 
かつ絢爛な絵巻物を作り上げているような印象だ。おっと、今回は、チャイコフスキーが主役なの
 
で、ワーグナーはこれ位にして、話を戻そう。イメージ 1チャイコフスキーの音楽には無駄がない。楽譜を見て
 
もいらない音符がない。それぞれの
 
楽器(パート)がしっかりと音楽の
 
一部を構成しているように有機的に
 
組み合わされている印象だ。また、
 
その旋律や和音が哀愁に満ちた
 
素敵な調べなのだ。これは、
 
はっきり言って勉強や修行で勝ち
 
取る類の所謂「知識」では真似の
 
できない「固有才能」であろう。
 
また、「この天性と彼を取り巻く過酷
 
な現実のという、あまりにも大きい
 
乖離のある世界」から彼の繊細な
 
音楽が生まれてくる事に驚愕を禁じ
 
えないのである。
 
 私の記憶だと、交響曲第1番「冬の日の幻想」を初めて聞いたのは中学3年生の頃のように思う。
 
チャイコフスキーはこの曲で音楽家としてのデビューということになる。この時、年齢は26歳。私の26歳
 
と比較する事自体無意味だが、流石天才であり、素晴らしい(まあ、自分が情けないということだ
 
が・・)。音楽学校に入学して、たった5年しか経っていないにも拘らず、モスクワ音楽院に講師となる。
 
これまた凄い。大学卒業して直ぐに大学教授になるようなものである。
 
さて、交響曲第1番「冬の日の幻想」についてだが、チャイコフスキーの交響曲とくれば、第4~6番の
 
3作品が傑作として知られている。交響曲第1~3番は所謂マイナーな部類だ。確かに、音楽の完成
 
度は「3傑作」に較べても落ちるだろう。但し、旋律や作曲技法については円熟期の作品を彷彿させる
 
ような素晴らしいものが随所に存在し、作品自体に「初々しさ」が溢れている。また、第四楽章の
 
展開部などは徐々に音階を変化させ後半部(エンディング)に繋げるといった大変難しいことをさらりと
 
成し遂げている。ただ、演奏する側にとっては、不協和音も伴うので、演奏するのは容易ではない
 
(特にホルン)・・・。ところが、次の大作である「ピアノ協奏曲第1番(作品23)」を出すまでに9年間も
 
掛かっている。この辺りは良く判らない。もしかしたら、オペラ歌手との婚約破棄騒動が尾を引いて
 
いるのかも知れない。また、総じて恋愛には向いていない性格らしい。結婚も正直失敗に終わった。
 
精神的にダメージを受けて、自殺未遂まで起こしている。ところが、これと同じ年にバレエ「白鳥の湖」
 
オペラ「エフゲニー・オネーギン」といった大作を完成させているのである。正直、このGapは大きい。
 
自殺を図っているような精神状態でも、並行して「哀愁に満ちた美しく素敵な調べ」を作れるのである。
 
凄い精神力なのか、その葛藤を楽譜に潅ぎ込んだのかは判らないが、凡才でない事に間違いは
 
ない。逆境は感性を研ぎすまさせるのかも知れない。
 
さて、今回のBlogのタイトルの意味だが、私が小学1年生から3年生まで通っていた小学校では、
 
給食~昼休みの時間に校内放送が流されており、「くるみ割り人形」が頻繁に流されていた。私は
 
あの旋律が好きで音楽に興味を持ち、Pianoを習い始めたのである。
 
よって、私にとって、チャイコフスキーの音楽が動機付けであり、従って「チャイコフスキーは私の恩師」
 
なのである。少し言い過ぎですけどね・・・。