タイトルからして、熱狂的なカラヤンファンに叱咤を受けそうなタイトルだが、これは、これまでの私の経歴
 
の中では大変な問題なのだ。今回、音楽のブログを書くにあたって色々な曲を聴き直してみて、私なりに
 
考え直すことがあったので、この場で書いてみたい。まず、私がカラヤンが苦手だった表面的な理由を
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挙げると、①豪華絢爛、きらきら、派手という音楽表現が、どうも多感な中高生の頃に受け入れられな
 
かった。②自家用飛行機を操縦したり、派手な格好や気取る態度をするのが成金主義的で気に食わな
 
かった。の2点である。今思えば、少し早計で幼稚だろう。演奏法、表現的な事に掘り下げると、独特の
 
「カラヤン・レガート」は時によって素晴らしいと写るが、その表現をしない演奏部分では、「えっ、そこは
 
そんなにあっさり演奏するの?」という部分が出てくるので、期待が故に失望する部分が出てくる。また
 
反面、ここまでやると大袈裟過ぎでは?と思うこともある。一方、「流れるように華麗」なのかも知れな
 
いが、ややテンポが速いこともあり、クールで人間臭くないと感じることも有る。金管楽器はキラキラで
 
厚み・重厚感のある奏法を終始貫く。全ての楽譜にアクセント付きな感じだ。時にそこはもう少し抑えた
 
方が良いんじゃないの?ということがある。緊張感がある演奏と言えば良いが、全体的に金管楽器は
 
息苦しく感じられる。また、ティンパニだが、なかなか深みのある良い感じで、奥行き(立体感)を巧みに
 
考慮したものではあるものの、やはり叩き過ぎの嫌いがある。全般的にもう少し抑えて90%位の
 
Velocityではどうかと良く思う。演奏に関する理念がほぼ確立しているので、どの様な曲を聴いても
 
やはりこう来たか・・・という感じがして、単品の楽曲を聴くなら兎も角、あれもこれも聴いていると面白み
 
に欠く。即ち、曲は違えど、結局は似たような雰囲気(香り)というか「カラヤン節」が漂うので飽きてくる
 
のだ。無論、これに浸るのがカラヤンファンの真髄だろうが・・・。これが、大体の私の彼の音楽を素直に
 
受け入れられなかった背景である。幼稚で大人げない側面も多いだろう。
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カラヤンの演奏を聴いて「完璧な演奏」という人が多いが、これだけ多様性のある楽曲で「完璧な演奏」
 
など不可能である。むしろ、不得手が見えた方が人間的で親しみがあるというものだ。従って、盲目・
 
崇拝的なカラヤンファンが苦手だった・・という面もある。それは、僻みじゃないの?と言われそうだが、 
 
確かにそういう面も一部はあると思う。但し、どう考えても感動的な演奏は他にもあるのに、この束縛 
 
から逃れられないリスナーはどうも苦手だ。勘違いしないでほしいのは、私はカラヤンのCDも多く
 
買っている。名盤と呼ばれるものからそこそこのもの(?)まで、中学生の頃から聴いていることも併せて
 
お伝えしたい。ちなみに、私が最も気に入っているのは「ショスタコーヴィチ交響曲第10番」である。
 
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これがお気に入りなのは、やはり、私はカラヤンが苦手な証明なのだろうか。私には感動的な演奏に
 
映るが、カラヤンファンの支持が薄いように思える・・・。最近、改めていろいろと聴き直すと、そんなに
 
カラヤンのことが嫌いじゃないかも知れないと思えてきたので、これまでの勉強不足を反省し、DVD
 
でも数枚買ってみようかと考えている。