ショスタコーヴィチの作品を語る上で、イデオロギー体制と作曲家の芸術性のジレンマといおうか、葛藤
について、議論がなされる。この経緯を知らない人の為に、少し説明すると、「旧ソ連の統制下では、
政治に対する自由な言論や表現が極度に規制されていた。政府に反抗的な態度、発言、政治的要素
を持った行動は、迫害や拷問、ひいては命の保証といった面での危険にさらされるため、自らの思想を
抑制もしくは偽って生きなくてはならないこともあり、それが芸術性や表現及び発言を歪曲したものに
している場合があり、本当の思想/メッセージであるかが判り難い」ということである。これは、ショスタ
コーヴィチに限った事ではない。このような体制下を生きてきた政治家、芸術家に共通した現象である。
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少し、芸術作品の理解について考えてみよう。(1)芸術家の意図は兎も角、そもそも芸術の受け入れ
や評価はそれを見る(聴く)ものの自由な思想に委ねられるべきである。(2)芸術的に高い評価を受け
ている作品であっても、芸術家の本来の意図がそのまま反映されているとは思われない事例も多く
存在する。(3)政治的、経済的な環境が作品に影響を与える事は充分想像できて、その状況下故に、
極度の緊張感から生み出された何かを秘めた作品に成り得たという事例も又存在する。(4)関係者が
聞いた本人の語録、後の出版物等により作品の背景が示される事もあるが、その信憑性には疑問が
ある。やはり真相は、芸術家本人にしか判らない。
結局のところ、私は、基本姿勢として(1)で良いと思うのだが、評論家や一般のリスナーにとっては、
 
意見が分かれる所である。このことは、音楽の問題だけではない。例えば、文学作品について言えば、
 
ある小説の感想を述べたところ「この小説が書かれた戦時中という背景を充分に考慮しておらず、見解
 
が不適切」と言われてしまった。とか、「筆者の置かれた政治的背景からすれば、意見に普遍性を欠く」
 
という指摘を受けた場合など、そこまで考慮しなきゃ作品を本当に理解しているとは言ってもらえない
 
のか?自由な思想で表現を受け止めちゃ悪いのか?という意見になる訳である。
 
これは、私も中高校生の頃の現代国語の解釈ではかなり悩んだ点でもある。筆者の生まれた時代
 
(特に戦争)や置かれた環境(例:原爆の被害者であるとか盲目であるということ)や過去の変遷
 
(例:禁錮刑を受けた経歴がある)を知った上で試験に臨まないと正解が得られない??純粋文学とは
 
違った部分での枠はめのようにも感じられる。
 
話は音楽に戻るが、私は、趣味で作曲や編曲を行ってWEBで公開しているが、(自己中な表現で
 
申し訳ないが)センス良く渋めに作ったつもりの曲なのに「明るく楽しくなる曲で気に入りました」という
 
メールを貰って、気に入られて嬉しいような・・でも、私の本来の思いが伝わっていないのだな・・と
 
悲しいような・・気分になるのである。(その2に続く)